葡萄いろいろ  (ぶどう③  江戸の味)
 ぶどうの品種は、今や全世界で1万種以上あると言われています。
 その中で、非常に身近な「マスカット」「デラウェア」「巨峰」「ピオーネ」を紹介します。
 
 ぶどうは、ヨーロッパ原産のヨーロッパぶどうとアメリカ原産のアメリカぶどう、そしてその両者の交配によってできた欧米雑種とに大別されます。
 ヨーロッパぶどうがぶどうの主流を占めていて、品質が特に優れています。
 アメリカぶどうは品質は劣りますが、病気に強い性質を持っています。

 ヨーロッパぶどうは原産地が乾燥地帯であるため、雨に弱い性質があります。
 日本は雨が多いので、ヨーロッパぶどうの栽培は困難なので、品質優良なヨーロッパぶどうと病気に強いアメリカぶどうとの交配で生まれた欧米雑種が主に栽培されています。
 
 ヨーロッパぶどう で有名なものには、「マスカットオブアレキサンドリア」や「甲州」があります。

c0187004_22553857.jpg マスカット・オブ・アレキサンドリア (「マスカット」と一般的に呼ばれています) 
 アフリカ原産で、紀元前から栽培されている世界的に有名な品種です。エジプトのアレキサンドリア港から輸出されたのでこの名があると言われています。
 きれいな黄緑色をした大粒のぶどうで、コクのある上品な甘さとマスカット特有の強い芳香を兼ね備えており、ぶどうの王様とも言われます。

 欧米雑種 は、ヨーロッパぶどうとアメリカぶどうの良いところを兼ね備えていて、病気に強く、雨や寒さにも強いため、日本では、これが主流を占めています。
 欧米雑種で代表的なものには「デラウエア」「巨峰」や「ピオーネ」があります。

c0187004_225622.jpg デラウェア 
 「種なしぶどう」として最も親しまれている品種です。アメリカ原産の自然交雑種で、1855年頃オハイオ州デラウェアで命名発表され、日本には明治15年ころに導入されました。上品な芳香があり、甘みは強くまた酸味も程良くあって、濃厚な味わいのぶどうです。実離れがよく食べやすいのも魅力です。
昭和34年ごろに種なし化に成功しました。


c0187004_22563075.jpg巨峰
1935年ころ、静岡県で作りだされた品種です。「石原早生」と「センテニアル」という品種を交配し育成した品種で、欧米雑種になります。
 現在、最も多く栽培されていて、国産ぶどうの主要品種の一つとなっています。
 大房で大粒、紫黒色で果紛が多いのが特徴。果肉は締まり、やや多汁で甘みは濃厚、適度な酸味と上品な香りがあり、食味は極めて優れています。
 品質が非常に優れていて、世界に誇れる品種と言われています。


c0187004_13112576.jpg ピオーネ 
 最近は、ピオーネが非常に人気があり、ポスト巨峰はビオーネが本命といわれています。
 ピオーネは静岡県で作り出された欧米雑種で、1973年に品種登録されました。巨峰にカノンホール・マスカットを交配したもので、巨峰の仲間の中でも、最高の品質とボリュームを持っています。
 果粒は巨峰よりさらに大きくて、果肉は緊まり、ボリューム感あふれるぶどうです。 味は濃厚で甘さも強い。
 巨峰と同じジベレリン処理法で種なし化により、人気が高くなり、ここ10年平均の売上げ順では巨峰、デラウェアに次いで第3位 となっています。 ピオーネは次の時代をリードする品種になると目されています。                                  
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# by wheatbaku | 2009-08-04 22:25 | 江戸の味 | Trackback
「甲州」ぶどう  (ぶどう② 江戸の味)
 現代の人気のあるぶどうは、巨峰やデラウェアですが、江戸時代は、甲州で見つけられた、その名も「甲州」が中心でした。

 「甲州」は、中房で、果粒は中くらい、果皮は赤紫色で、白い粉をつけた美しい色をしています。
 実は汁が多く甘みがあり、また酸味が適度で渋みも若干ある素朴な味わいのぶどうです。
 生で食べるほか、日本の白ワイン用原料ぶどうとしても第1位の座を占めています。

c0187004_13504869.jpg 「甲州」は、ヨーロッパぶどうなので、はるばるシルクロードを経て中国から伝えられたと考えられていますが、その由来について、勝沼には次の2つの説があります。

1、大善寺説
 養老2年(718年)、僧行基は勝沼に立ち寄り、日川渓谷の大きな岩の上で修行をしていた。満願の日に、夢の中に右手にぶどう、左手に宝印を持った薬師如来が現れました。その夢の中に現れたお姿と同じ薬師如来を刻んで安置したのが現在の大善寺の始まりで、行基は葡萄の作り方も村人に教えたので、この地にぶどうが 栽培されるようになり、これが甲州ぶどうの始まりだと 伝えられています。

2、雨宮勘解由(あめみやかげゆ)説
 平安時代末期の壇ノ浦の戦いがあった翌年の文治2年(1186年)、勝沼の上岩崎に住む雨宮勘解由いう人が山ぶどうとは別種のぶどうを見つけ、家へ持ち帰って栽培したところ、5年目に30あまりの優良ぶどうを収穫、村人に苗を分け、それから普及したと伝えられています。

c0187004_14202864.jpg ぶどうの「甲州」が栽培され始めたのは、鎌倉時代初期のようですが、本格的に栽培されるようになったのは、江戸時代になってからです。
 また、甲斐は、甲州街道を通じて、江戸と頻繁に往来でできるようになり、ぶどうも江戸に運ばれました。
 荻生徂徠は「峡中紀行」の中で
  「勝沼の宿は人家多く繁昌なるところ甲州街道で第一番地、甲州葡萄は此国の名物なり」
  と記しています。
  また、松尾芭蕉は
  「勝沼や 馬子も葡萄を 食ひながら」
  の句を詠んでいます。  (現在では、実は、芭蕉の作ではないという説もあります。)


c0187004_13295540.jpg 日本では、左の写真のように、ぶどうは、ぶどう棚をつくり、ぶどう棚から実が下がっているのが普通です。
 しかし、下の写真はドイツのぶどう畑ですが、海外では、このように、棚がありません。
  棚からぶどうが下げる栽培法は、 「棚架け法」 といって日本独特のものです。


c0187004_13301077.jpg この棚架け法が考案されたのも甲州です。
 江戸時代の初期、大阪夏の陣があった年である元和元(1615年)年に、医師の永田徳本(ながた とくほん)が、勝沼の上岩崎の雨宮家に滞在している時に、ぶどうの棚架け法を考案 し、現在の栽培方法の基礎を作ったと言われています。
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# by wheatbaku | 2009-08-04 06:06 | 江戸の味 | Trackback
ぶどう (ぶどう① 江戸の味)
 今日から、葡萄(ぶどう)のお話をします。

c0187004_2255770.jpg ぶどうには、ヨーロッパぶどうとアメリカぶどうの2種類があります。
 ヨーロッパぶどうの原産地は西アジアのコーカサスからカスピ海沿岸にかけての地方と言われています。
 中国には、ヨーロッパぶどうが前漢の時代に伝わりました。
 前漢の武帝によって派遣された張騫(ちょうけん)が西域からいろいろなものを持ち帰ったものの一つに葡萄があるのです。
 そして、中国に伝ったぶどうを遣唐使の人たちが日本に伝えたようです。
 最初に日本に伝えられたのは、ヨーロッパぶどうです。
 
c0187004_1357757.jpg  一方、アメリカぶどうの原産地はアパラチア山地と言われています。
 アメリカぶどうは明治以降日本に伝えられました。

 ぶどうは、その原産地の言葉であるウズベク語で 
Budaw と呼ばれていました。
 これを漢語に音訳したものが「葡萄」(ブウタオ)です。

 それが日本に伝わり、ブドウになったといわれています。

 ぶどうは、古事記にもでてくるそうですが、その頃の葡萄は、山葡萄のようです。
 平安時代に雨宮勘解由が、甲州ぶどうを見つけた以後、葡萄の栽培が始まったと言われています。
 しかし、栽培が本格化したのは江戸時代です。

 元禄8年(1695年)に刊行された「本朝食鑑』(ほんちょうしょっかん)には、次のように書かれています。
 c0187004_13575134.jpg
 (葡萄は)甲州に最も多く、駿州がこれに次ぐ。ともに江都(えど)の市上(まち)に伝送して販売している。武州八王子の近隣でも、多く出荷している。京師(きょうと)および洛外には、惟(ただ)8,9月だけあって、久しくは留(お)けない。海西(さいごく)でもやはり同じである。山北の諸州や厳寒地では全くなく、たまたまあったとしても、佳(よ)いものではない。

 これによると、元禄の頃には、もう甲州や駿河産のぶどうが江戸で販売されていて、京阪等西国でも、8、9月には、葡萄ができていたようです。
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# by wheatbaku | 2009-08-03 06:08 | 江戸の味 | Trackback
大輪朝顔展  (朝顔⑦ 江戸の花)
 7月28日(火)から8月3日(月)まで、日比谷公園で、東京朝顔研究会の 「大輪朝顔展」 が開催されています。
 東京朝顔研究会は、明治40年に設立された歴史のある会で、「大輪朝顔展」 は、毎年7月28日から8月3日まで開催され、今年で第58回を数える恒例の朝顔展です。
c0187004_153446.jpg この朝顔展は、単なる展示会ではなく、農林水産大臣賞や文部科学大臣賞・都知事賞もあるそうで、会員の皆さんは、競って出品するそうです。
 そのため、会員の皆様は、4月以降は、朝早く起きて、精魂を傾けて、朝顔の育成に取り組んでいるとのことです。
 会員の中には500鉢を育てて、この朝顔展に100鉢も出品するほど熱心な人もいるとのことでした。
 
 午前8時から11時まで開催されていますが、朝顔の見ごろは9時ごろだと教えてもらいました。
 
 出品されていた朝顔は、非常に見事で、朝顔のイメージが、可憐な花のイメージから自分をしっかり主張している花のイメージに変わるほどでした。

 数多く出品されていた中で、品種名がはっきりしたものをいくつかを紹介します。

紅扇(切り込み作り)
c0187004_14423469.jpg越天楽(切り込み作り)c0187004_1442457.jpg






都鳥(切り込み作り)
c0187004_14425676.jpg万博の輝き(切り込み作り)c0187004_1443561.jpg







新団十郎(切り込み作り)
c0187004_14433899.jpg初雪(切り込み作り)c0187004_14554078.jpg 











浦霞(行灯作り)
c0187004_1517283.jpg那須(行灯作り)
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# by wheatbaku | 2009-08-01 15:46 | 江戸の花と木 | Trackback
割り箸 (江戸の技)
 下の写真は昨日紹介した[うなぎ割烹 大江戸」の[うな重」です。
 今日のお話は、うなぎでなく、うな重に添えられている 「割り箸」 のお話です。 

c0187004_2371574.jpg 江戸時代の百科事典ともいうべき「守貞謾稿(もりさだまんこう)」の中で、鰻飯の項につぎのように、割り箸について書かれています。
 なお、守貞謾稿が書かれた頃には、割り箸は、引き裂き箸と呼ばれていました。

 「 (鰻飯には)必ず引き裂き箸を添ふるなり。この箸、文政以来此より、三都ともに始め用ふ。杉の角箸半を割りたり。食するに臨んで裂き分けて、これを用ふ。これ再用せず。浄きを証すなり。
 しかれどもこの箸、また箸工に返し、丸箸に削ると云ふなり。
 鰻飯のみにあらず、三都諸食店往々これを用ふ。かへつて名ある貸食店(りょうりてん)には用ひず。これ元より浄きが故なり。」

 守貞謾稿が書かれたのが、天保期(1830~1843年)ですので、割り箸はそのころはかなり広まっていたと思われます。
 それでは、割り箸がいつごろから使われ始めたかというと、守貞謾稿には、文政(1818~1829年)以来と書かれていますし、天明(1781~1788年)初期ごろという説もあり、割り箸の起源ははっきりしません。

 箸は、弥生時代から使われていますが、割り箸は、意外にも江戸時代後期から使われはじめたようですね。

割り箸の種類 
 
 割り箸は、どれも同じと思うことが多いようですが、実は、いろいろな種類があります。
 それを紹介していきます。

☆天削箸(てんそげばし)
c0187004_8454592.jpg 割り箸の頭部の部分を斜めに削ぎ落としたもの。ちょうど、天(頭)が削(そ)がれて見えるのでこの名があります。
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 木目(杉、桧など)の美しさを強調している高級感のある箸です。
 上の「大江戸」のうな重の写真で、添えられている箸も天削箸です。
 主として高級料亭や家庭においてお客様をもてなす時に使われます。


☆利久箸(りきゅうばし)
c0187004_10242686.jpg 真ん中が太く両先が細い箸で、千利休が、茶席でもてなす時に愛用したと伝えられています。利休でなく、利久と書くのは、利休の号を遠慮したためと考えられています。
 吉野杉のものが最高とされています。
 
☆元禄箸(げんろくばし) c0187004_10245447.jpg 
 割れ目に中溝をつけた箸で、箸頭までまっすぐに割れやすくなっています。

c0187004_10295298.jpg
 箸の頭部の切口を上から見ると元禄に流行した市松模様に見えるところから、元禄の名がついています。
 現在、最も多く流通している形です。

☆小判箸(こばんばし)  
 箸の角を丸くした割り箸で、箸の頭部の切口が小判型に見える事から、こう名づけられました。
 元禄箸と同じく汎用的に使用される割箸です。

☆丁六箸(ちょうろくばし)  
 面取りをしない、最も加工度の低い割り箸です。.
 これまでの箸の名前は形状を現す名前ですが、これは「丁度6寸(約18cm)」という長さからきた名前です。
 市販の割り箸では最も短く、角削り加工がなく、割れ目が入っているだけの経済的な箸です。

☆竹割箸(たけわりばし)  
 九州南部の竹材を利用して開発された、やや太めの割箸ですが、現在はコストの関係もあって中国産の竹が多く利用されています。
 勝れた強度と油を弾く特性から天婦羅屋やうなぎ屋などで利用されています。
 竹割箸では、天削か、双生が多いようです。
 双生は、箸を丸く加工したものを二つ並べたようなものをそう呼びます。


 このようにたくさんの種類の割り箸があります。 なにげなく見逃してしまう割り箸にもちょっと目を留めてみてはいかがでしょうか。
 
 割り箸の写真は、奈良県吉野郡で吉野杉・吉野桧のお箸・割り箸をつくられている「吉膳」様からご提供いただきました。「吉膳」様ありがとうございました。
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# by wheatbaku | 2009-07-31 06:17 | 江戸の技 | Trackback
うなぎ割烹大江戸 (江戸の老舗の味)
 7月31日は、今年2回目の土用の丑の日いわゆる二の丑の日

c0187004_22214370.jpg そこで、数日早いのですが、うなぎ割烹「大江戸」に行ってきました。
 「大江戸」はJR「新日本橋」駅から歩いて1~2分で昭和通りに面した場所にあります。

 創業は、寛政年間(1789~1800年)とのことですので、創業以来約200年が経つことになります。
 初代草加屋吉兵衛が創業し、現代は8代目になるとのことでした。


c0187004_222245.jpg 玄関入り口には、つくばいが設けられていて、高級料亭の雰囲気です。

c0187004_22222890.jpg そのまま正面を入るとお座敷に通じますが、玄関右手に「食堂部」という案内があり、そこを入ると店内は、縦方向に細長くなっていて、暖簾で仕切られた4人掛けのテーブル席が連続してあります。さらに手前に大きなテーブルが一つ置いてあります。.
 暖簾がかかっているので周りを気にすることなく食べることが出来ます。

c0187004_22255833.jpg うな重は、一般的には松竹梅が多いように思いますが、ここでは、ふみづき、ながつき、しもづき、やよい、 むつきと月名がつけられていて、極上まであります。
 値段の違いははうなぎの大きさだそうです。
 鰻のタレは、甘さを抑え、やや醤油味が勝った味で、うなぎも脂っぽさが抜けて、全体として淡白な味わいで、食べやすい味です。

 うな重は単品ですので、きも吸いが欲しい時は、別途オーダーする必要があります。
 きも吸いのほか赤だしもありました。

 値段は、安い訳ではないのですが、日本橋という土地柄かサラリーマンが続々と入ってくるのでびっくりしました。 やはり土用ですね。

青印が「大江戸」です。 新日本橋の8番出口からはすぐそばです。

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# by wheatbaku | 2009-07-30 05:59 | 江戸の老舗 | Trackback
圓満寺・観音寺 (御府内八十八ヶ所めぐり)
 久しぶりの御府内八十八ヶ所めぐりです。
 今回は、湯島の圓満寺と高田馬場の観音寺です。

c0187004_22113188.jpg 32番 圓満寺
 圓満寺は、住所は湯島ですが、最寄駅はJR御茶ノ水駅で、徒歩5分です。東京ガーデンパレスの並びにありますので、見つけるのは難しくありません。
 しかし、下の写真をみてわかるように、お寺らしくないビルの中にありますので、右のお寺の看板をよくみなければお寺があると気がつかないでしょう。

c0187004_22115461.jpg
 庫裏は、ビルの8階にあり、本堂は9階にあります。
 庫裏を訪ねて、お参りのお願いをしましたら、奥様が9階にご案内してくれました。
 本堂は、ビルの中にもかかわらず、ゆったりした広さがあり、ゆっくりお参りできました。
 
 圓満寺の本山は、京都御室の仁和寺で、御室別院の由緒を持つお寺です。

 江戸時代にも名刹だったようで、江戸名所図会で、かなりのボリュームをさいて解説されています。
 「万昌山円満寺:湯島六丁目にあり。真言宗にて開山は木食義高上人なり。・・・中略・・・
 寺伝に曰く、開山木食義高上人は覚海と号す。足利13代将軍義輝公の孫義辰の息なり・・・中略・・・
 宝永7年江戸湯島の地に梵刹を建てて万昌山円満寺と号す。大樹(6代将軍家宣)のご志願によって本多弾正小弼忠晴奉行たり。すなはち上人をもつて当山の開山とす」
 と非常に詳しく歴史について書いてあります。

c0187004_22121781.jpg 85番 観音寺
 観音寺は、JR高田馬場駅から歩くと約15分、バスですと高田馬場駅前から小滝橋車庫行きの都営バスに乗って、高田馬場4丁目で降りてから徒歩5分です。
 早稲田通りに向かって山門が開いています。
 事前に、電話しておいたので、奥様が待っていてくれました。すぐに、庫裏から本堂にご案内してもらい、ゆっくり参拝することができました。
 本堂は大きな建物で、ご本尊様は2階に鎮座していました。

c0187004_221244100.jpg  観音寺の創立はハッキリしませんが、3代将軍家光の寛永年間だろうといわれているそうです。
 
 墓地の入口に、吉川英治が揮毫した、「呼潮へんろ塚」の碑があります。
 吉川英治の親友に淡路呼潮という人がいて、その人から聞いて西国33ヶ所めぐりの遍路について書いたのが、「呼潮へんろ」のようです。
 詳しいことを奥様に聞こうと思ったら、用事があって出かけられた後でしたので、聞くことができませんでした。残念でした。
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# by wheatbaku | 2009-07-29 06:17 | 御府内八十八ヶ所 | Trackback
延寿甘酒 (江戸の老舗の味)
 神田明神の大鳥居をくぐり、右手にある、 「三河屋綾部商店」 は、 「延寿甘酒」 のお店です。

c0187004_21591620.jpg  神田明神へは、JR「秋葉原」駅から歩いて約10分、「御茶ノ水」駅からは5分、東京メトロ「末広町」駅からは7分です。
 三河屋綾部商店は、元和2年(1616)に創業した古い老舗。創業以来まもなく400年という老舗中の老舗です。
 元は三河の出身で、徳川将軍について三河から江戸に出て来て創業したとのことです。
 御主人の話では、「御先祖様は三河の出身ですが、さらに元をたどれば、丹波の綾部です。だから綾部商店なんです」 とのことでした。

c0187004_2159518.jpg  主に糀を造り、その糀を使った甘酒、納豆、味噌を製造販売していています。
 甘酒は、のれんに書いてあるとおり、 「延寿甘酒」 と名づけられています。

c0187004_2202929.jpg  江戸時代には将軍家に納めていて、維新後は宮内省(現宮内庁)にも納めていました。
 現在も、店内には「宮内庁御用達」の看板が残っています。
 ご主人の話では、「宮内庁御用達の制度は、既に昭和33に廃止されて、今はないんですよ」と教えてくれながら、宮内庁御用達であった頃の、宮内庁への通行証をみせたくれました。


c0187004_221624.jpg 「延寿甘酒」をいただきましたが、夏は、熱い甘酒のほか冷えたものがあります。
 どちらがいいか奥様に尋ねたら「お好みですが、本来の味が味わえるのは熱い方です」ということでした。 そこで、熱い方を注文しました。
 濃厚な米のうまみがでた、コクのあるすばらしいものでした。
 冷たいものより、熱いもののほうが味わい深いような気がします。

 
c0187004_2214873.jpg  こちらは、「千代田納豆」です。
 今では珍しくなった藁(わら)に包まれたものです。箸で持ち上げるのが大変なほど粘りがあるとのことです。
 「千代田納豆」がたくさん並んでいます。これは、写真を撮りたいとお願いしたら、奥様がわざわざ冷蔵庫に保管してあるものを出して数多く並べてくれたものです。
 奥様ありがとうございました。


 神田明神の前の甘酒と言えば、「天野屋」が有名です。しかし、「三河屋」も素晴らしいお店だと思います。
 甘酒の味は同等、知名度は「天野屋」、歴史は「三河屋」。そして、心配りは「三河屋」という風に感じました。
 もう一度寄りたいお店です。

 お店は、神田明神の門前にあります。

三河屋綾部商店 (カフェ・喫茶(その他) / 御茶ノ水、末広町、新御茶ノ水)


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# by wheatbaku | 2009-07-28 06:25 | 江戸の老舗 | Trackback
即非蓮  (蓮⑥ 江戸の花)
 今日も、「古代蓮の里」にある蓮の花を紹介します。

c0187004_21142386.jpg即非蓮(そくひれん) 
 即非は隠元の高弟で、隠元に招かれて来日し、長崎崇福寺の中興開山となり、黄檗山萬福寺で、隠元をたすけ、さらに小倉藩主の小笠原忠真の依頼で福聚寺(ふくじゅじ)を開創しました。そして 遂に故国に帰ることなく、日本に骨を埋めました。
 即非が伝えた蓮が即非蓮です。
 即非蓮は、小型、一重の紅色で、花弁はやや尖っています。

c0187004_21145287.jpg王子蓮(おうじばす)  
 1960年に訪米中の皇太子(現在の天皇陛下)夫妻に依頼し導入されたアメリカ蓮です。アメリカ蓮は、大正年間に一時導入されましたが絶えてしまい、日本では黄色の蓮はみられませんでした。
王子蓮とは、皇太子夫妻の導入によるものとの意味が込められています。
 花色は淡黄色ですがややクリーム色を呈し、花弁は大きい。


c0187004_21155562.jpg一天四海(いってんしかい) 
 花色はやや黄色味のある白色の緑に紫紅色の不規則な帯状の紋が入る斑蓮。
 花弁の表と裏では紋の形が異なっています。
 一天四海とは、全世界を意味する「一天四海妙法に帰す」という仏典の言葉に由来します。
 岡山藩主池田光政が好んだ品種で、「大名蓮」とも呼ばれています。

c0187004_21213623.jpg原始蓮(げんしばす) 
 大阪府下に育成していた地蓮系統の小型の蓮
 花色は濃いピンクで退色が早く花弁基部近くは白くなり条線は鮮明です。
 大賀一郎博士が原始的な蓮として命名しました。
 大阪府の天然記念物に1970年に指定されています。




c0187004_2122360.jpg酔妃蓮(すいひれん)
<孫文蓮>
 
 大正7年、中日友好のため孫文が蓮の実4粒を日本の財界人に贈り、その蓮の実を大賀一郎博士が発芽育成したものです。
 第1日目の開花が白地にピンクで2日目よりピンクが退色し、花弁の先端だけがほのかなピンクになります。それが、あたかも妃が酔っているようであることから、この名がつけられました。


このように蓮の花を並べてみると、いろいろな蓮があると改めて感じます。
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# by wheatbaku | 2009-07-27 05:39 | 江戸の花と木 | Trackback
大賀蓮  (蓮⑤ 江戸の花)
 今日、蓮の花と言えば、名前が必ず出てくるのが「大賀蓮」 です。
 「大賀蓮」 は蓮の花の代名詞と言ってもよいくらい有名です。
 その「大賀蓮」が、行田の「古代蓮の里」にも植えられていました。

c0187004_21154787.jpg 大賀蓮が発見された場所は、千葉県千葉市検見川にある東京大学検見川総合運動場です。
 その場所は、当時、東京大学検見川厚生農場と呼ばれていました。
 ここで、昭和26 (1951年)3月、植物学者大賀一郎博士は、地元の花園中学校の生徒たちと共に遺跡の発掘調査しました。
  めぼしい成果もなく、明日が発掘作業の最終日という3月30日午後5時10分に、発掘を手伝っていた地元の花園中学の生徒西野真理子さんが、地下6mから古代のハスの種子を1粒発見しました。

c0187004_21161420.jpg さらに、1週間後2粒が発見され合計3粒の蓮の種子が見つかりました。
 この種子 は、一緒に発見された丸木船などから、2000年以上地下で眠っていたことがわかりました。
 この種子を5月6日に水につけたところ、5月9日に発芽をはじめ、翌年7月18日に美しいピンク色の花を咲かせたのです。
 残りの2粒は枯れてしまいました。 まさに、成長したのはたった一粒だけだったのです。

c0187004_2128452.jpg このニュースは国内外に報道され、米国ライフ誌に「世界最古の花・生命の復活」として掲載され、全世界から注目されました。
 蓮は大賀一郎博士の姓を採って「大賀蓮」と命名されました。
 そして、昭和29年には、千葉市の天然記念物に指定され、「千葉市の花」 にもなっています

 さらに、大賀蓮は、日本各地をはじめ、世界各国へ根分けされ、友好親善を深めています。

 大賀蓮は、約2000年前の古代の蓮が、時間を超えて蘇ったことで、当時、世界の話題になったとともに、現代でもロマンを呼び起こすものとして、多くの人に記憶されているのではないでしょうか
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# by wheatbaku | 2009-07-25 23:16 | 江戸の花と木 | Trackback
  

江戸や江戸検定についてに気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
by 夢見る獏(バク)
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