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徳川家康の継室旭姫のお墓がある瑞龍寺(徳川家康ゆかりの地61)

徳川家康の継室旭姫のお墓がある瑞龍寺(徳川家康ゆかりの地61

 これまで久能山東照宮を紹介してきましたが、久能山東照宮をお参りした際に、静岡市内の徳川家康ゆかりの寺社である瑞龍寺、華陽院、小梳(おぐし)神社をお参りしてきました。これらの寺社についても、まだごブログで紹介してありませんので、これから数回にわたりご紹介します。

 瑞龍寺は家康の継室旭姫のお墓があり、華陽院は家康の祖母華陽院のお墓があります。小梳(おぐし)神社は家康が人質として駿府に入った際に最初にお参りした神社と言われています。これらの中から今日は、旭姫のお墓がある瑞龍寺を紹介します。

 瑞龍寺は JR静岡駅前から、路線バスの「しずてつジャストライン安倍線または美和大谷線」で「材木町バス停」下車して徒歩2分です。

 瑞龍寺は、永禄3年(1560)、曹洞宗長源院(静岡市葵区沓谷)の5世大和尚でもあった能屋梵藝(のうおくぼんげい)大和尚が開山した曹洞宗のお寺だそうです。下写真が寺院入口から撮った瑞龍寺全景です。

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 家康の継室旭姫は、滞在先の京都で死去し東福寺南明院に埋葬されましたが、瑞龍寺にも分骨されたといいいます。旭姫のお墓は本堂の裏側の山腹に西を向いて建てられています。(下写真)

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旭姫は天文12年(1543)、尾張国(愛知県)中村で生まれました。父竹阿弥は母なかの再婚相手です。豊臣秀吉は、なかの前夫木下弥右衛門となかとの間に生れており、旭姫は秀吉の異父妹になります。一方、豊臣秀長とは父を同じくする兄妹です。

天正12年(1584)、家康は小牧・長久手の戦いの後、二男秀康を人質として秀吉のもとに送ったものの家康自身は上洛しませんでした。そこで、秀吉は家康の上洛を促すため、築山殿が亡くなった後正室のいなかった家康に対して、旭姫を正室として輿入れさせました。旭姫はこの時、秀吉の家臣佐治日向守(また副田吉成との説もある)の妻であり、家康に嫁がせるため離別させたと伝えられています。 旭姫は天正14年(1586)5月、京都を発って浜松城にいる家康に嫁ぎました。この時、旭姫は44歳、家康45歳でした。その後、天正1410月に家康は上洛し、秀吉に臣従しました。そして、家康は旭姫とともに同年12月、浜松城から駿府城に居城を移しました。

駿河御前と呼ばれた旭姫は、天正16年(1588)に生母大政所の病気を見舞うため上洛し、その後、いったん駿府に戻りました。その後、再び上洛しましたが、この時、病気となり二度と駿府に戻ることはなく、天正18年(1590)1月14日に亡くなり、京都・東山にある東福寺南明院に葬られました。48歳でした。法名は「南明院殿光室総旭大禅定尼」と言います。

家康は天正18年南明院から分骨して瑞龍寺に旭姫の墓を建てました。旭姫が駿府に住んでいた間、しばしば瑞龍寺に参詣した縁があったためだと瑞龍寺には伝わっているようです。瑞龍寺での法名は「瑞龍寺殿光室総旭大禅定尼」でした。なお、秀吉が小田原攻めで駿府に立ち寄った際、旭姫を供養するため墓を建てたとの説もあるようです。

お墓の前には旭姫について解説した説明板も建てられています。(下写真)

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豊臣秀吉は、旭姫が他界した年に、小田原の北条攻めを行い、関東に向かいました。7月には、北条氏政・氏直親子が降伏し、北条氏は滅亡しました。小田原攻めを完了し畿内に帰る途中、秀吉は天正18年8月22日、駿府に立ち寄った際に瑞龍寺に参詣、旭姫を供養したといいます。秀吉はその際、瑞龍寺に8貫文の寺領を寄進した領地安堵の朱印状を発給しています。下写真が瑞龍寺の本堂です。

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なお、北条氏が滅亡した後、秀吉は、家康を関東に移封し、東海道筋には、秀吉子飼いの武将たちを配置し、駿河には中村一氏を配置しましたので、秀吉が瑞龍寺を訪ねた時の駿府城主は中村一氏でした。

この時、秀吉が与えた朱印状が現存しており、瑞龍寺の寺宝の一つとなっていて、20234月に静岡市の文化財に指定されています。この朱印状と同時に①秀吉はが小田原征伐からの帰途に立ち寄って際に与えた「桐紋蒔絵膳」、②旭姫所用したと伝わる「桐沢瀉紋立湧模様打敷(小袖)」⓷「瑞龍寺由緒書」に家康より旭姫のために奉納されたとの記載がある「釈迦三尊・十六羅漢絵像(三幅一対)」④「覚(瑞龍寺由緒書)」も静岡市の文化財に指定されています。上記文化財は20231118日(土)・19日(日)には特別公開されたようです。

境内には、、芭蕉の句碑・時雨塚やキリシタン灯篭などがあります。

下写真が芭蕉の句碑・時雨塚です。

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下写真がキリシタン灯籠です。

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 下地図の中央が瑞龍寺です。

静岡浅間神社の近くです。浅間神社の赤鳥居からは徒歩約7分の距離です。




# by wheatbaku | 2024-02-12 22:45 | 徳川家康ゆかりの地
文京学院大学の江戸講座「よくわかる江戸のお金のはなし」のご案内

 文京学院大学の江戸講座「よくわかる江戸のお金のはなし」のご案内

 今日は、文京学院大学の江戸講座のご案内をさせていただきます。

 文京学院大学生涯学習センターで来る39日に「よくわかる 江戸のお金のはなし」というタイトルで講義をさせていただきます。

 江戸時代の貨幣制度はよく複雑だといわれます。例えば、金貨、銀貨、銭貨の三種類の貨幣が通用した三貨制度であることも現代からみると複雑です。さらに東日本で主として通用していたのが金貨であるのに対して西日本では銀貨が主として流通していました。同じ国の中で主に通用する貨幣が異なっているということになりますので複雑と言えば複雑です。こうしたことから現代と比べると大変複雑だと感じることもあると思います。

 しかし、江戸時代の貨幣制度の基礎知識があれば、それほど難しくはありません。そこで、今回の講座では、江戸時代の貨幣制度の基礎的な知識を簡明に解説します。

 江戸時代の貨幣制度の基礎知識があれば、時代小説や時代劇でお金の話がでてきても戸惑うことはありません。

 この機会にぜひ江戸時代のお金の知識を学んでみてはいかがでしょうか?

【講座の開講日時等】

 日程 39

曜日・時間 土曜日 10001200

受講料 3,200

 詳しい講義内容および受講申し込みは下記ホームページをご覧ください。

 文京学院大学の江戸講座 「よくわかる 江戸のお金のはなし」

 なお、江戸時代の貨幣制度の確立には徳川家康が大きく関わっています。関ヶ原の戦いに勝利して、天下の実権をほぼその手中に収めた徳川家康は、政治機構の整備にさきだって、全国流通を目的とした慶長金銀を制定しました。これが統一貨幣として流通するようになりました。そのため、徳川家康は天下統一のみならず貨幣も統一したと評価されています。

 こうしたことも講座の中では説明したいと思っています。 



# by wheatbaku | 2024-02-08 22:46
久能山東照宮の表参道から眺める駿河湾は絶景《久能山東照宮⑸》(徳川家康ゆかりの地60)

久能山東照宮の表参道から眺める駿河湾は絶景《久能山東照宮⑸》(徳川家康ゆかりの地60

前回まで、久能山東照宮の社務所から上にある御社殿や廟所等をご案内しました。ここを参拝した後、私は表参道を下りましたので、今日は表参道をご案内します。表参道は山麓の「山下石鳥居」から本殿前までの石段が1159段あります。昔の人は「いちいちごくろうさん」と洒落を言いながら登ったそうです。日本平ロープウェイが開通するまでは、表参道が唯一の参拝路でした。現在でも東照宮の神職さんたちは毎日歩いて登るそうです。

私は1159段の石段を登る自信がなかったので参拝した後に石段を下りましたが、表参道から見る駿河湾は絶景でした。体力に自信のある方は、ぜひ表参道にチャレンジしてみると良いと思います。下写真は一ノ門から見た駿河湾です。

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さて、それでは、社務所近くにある久能山東照宮博物館から山下の石鳥居までご案内します。

《久能山東照宮博物館》

 社務所の近くに久能山東照宮博物館があります。(下写真)

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久能山東照宮博物館は、久能山東照宮に付属する博物館です。館内は撮影禁止でしたので、写真は撮れませんでしたが、館内には徳川家康が関ケ原の戦いの際に着用していた「歯朶具足(しだぐそく)」や「どうする家康」で話題になった「金陀美具足(きんだみぐそく)」が展示されていました。また、有名なスペイン国王フェリペ3世が家康に贈った洋時計も展示されていました。私が特に注目したのは徳川家康の身の回りの品々で当時のメガネである「目器」(重要文化財)、薬好き家康が使用したという薬調合用の「青磁鉢」と「乳棒」、さらにガラス製の「びいどろ薬壷」(いずれも重要文化財)などが展示されています。それぞれが一見の価値のあるものばかりでした。

《勘介井戸》 

博物館を見てから下に下ってくると左手に「勘助井戸」があります。(下写真)

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勘助井戸は、戦国時代に武田信玄の軍師山本勘介が掘ったと伝えられているそうです。久能山東照宮の前にあった久能城は山本勘助が築城にかかわったという言い伝えがありますので、そうしたことを踏まえたものだと思われます。

勘助井戸のある場所は見晴台ともなっています。下写真は見晴台から眼下に見える石垣イチゴの温室群です。

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《一ノ門》  

勘助井戸がある見晴台からすこし下ると一ノ門が見えてきます。(下写真)

久能城があった頃はここに大手門があったそうです。一ノ門は元は櫓門でしたが、明治17915日の暴風雨風によって倒壊したため、平屋に改築されたものです。現在の一ノ門は、城門風となっていて屋根は左右切妻造りの銅板葺きです。

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ここからは駿河湾、伊豆半島はもちろん望むことができますし、御前崎までも見ることができるようです。下写真は一ノ門前から東方向を見た写真ですが、正面に見える山景は伊豆半島です。

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下写真は一ノ門前から見た表参道の石段です。表参道がどのような様子なのかわかると思います。

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《門衛所(もんえいしょ)》  

久能山東照宮の一ノ門を警護および東照宮そのものの警備を江戸時代に担当したのが「総門番」という役職でした。この役職は榊原照久を初代とする榊原氏が世襲していました。一の門内の正面に建っている建物が門衛所(下写真)で、ここで、総門番榊原氏配下の与力が人ずつ昼夜交代で勤務していました。ここは、上番所と呼ばれ、与力が詰めていたようです。ここの西側には同心8人ずつが与力同様、昼夜交代勤務していた下番所が置かれていましたが、下番所があった建物は残っていません。門衛所は明治244月に改築されたものです。

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昨日は、節分でしたが、久能山東照宮では、節分には「古儀節分祭」が執り行われるようです。久能山東照宮の古儀節分祭は、徳川家康が駿府城にいる頃、城の門ごとに鬼撃木(おにうちぎ)を飾ったことに由来しているそうです。当日は、宮司の祝詞奏上ののち、神前にお供えした豆をおさげして、石の間にて「豆打ちの儀」を行い、神職2名が楼門、一ノ門にてそれぞれ豆打ちの儀を行い、除災招福を祈願するそうです。

一ノ門には、「鬼撃木」が打ち付けられていました。鬼撃木は長さが55㎝ほどです(下写真)。久能山東照宮では鬼撃木の御札も販売しているそうです。

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《表参道の途中》

 下写真は、表参道の中で長坂と呼ばれている付近の石段を下から撮ったものです。見事な石段です。下る時はまったく苦になりませんでしたが、登るのは大変なんでしょうね。

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《駿河稲荷神社》

駿河稲荷神社は山下の石鳥居より少し参道を登った左側にある久能梅林入口に鎮座しています。下る際には、この稲荷神社が見えてくるとまもなく表参道も終わりとなります。(下写真)

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 駿河稲荷神社は元久能山目代(代官)であった杉江家が伏見稲荷大社から勧請してお祀りしていましたが、昭和57年に現在の地に遷されたものです。

《徳音院》

 急な石段を下りきって、山麓の鳥居が見えてくると鳥居に向かって参道の左手(東側)に徳音院というお寺があります。(下写真)

徳音院は、久能山東照宮が神仏習合として祀られていた江戸時代には、久能山東照宮の別当・学頭を勤めていました。久能山東照宮が神仏習合であった時代の名残りを残す寺院です。

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お堂に掲示されていた「久能山徳音院縁起」に次のように書かれていました。

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「徳音院は徳川家康をはじめ三代将軍に仕えた南光坊天海(慈眼大師)により開かれたお寺です。御本尊は家康ゆかりの薬師如来で、そのほか不動明王、財福聖天、厄除開運の両大師をおまつりする駿河の霊場です。徳川家康は元和2417日に亡くなり遺命により久能山へ納められました。家康を神様としてお祀りするにあたり、将軍秀忠は天海の主唱する山王一実神道で東照大権現の神号をいただき、元和34月には天海大僧正により日光山に改葬されました。家光の代には久能山にも社殿及び寺院ができ、徳音院はその学頭として江戸時代は栄えておりました。ところが明治になって山上の寺院は取り壊されて、麗の徳音院だけが元三、慈眼両大師堂として残されました。」

《石鳥居》 

山下の石鳥居は、高さ6.5メートルあります。大正4417日、東照宮三百年祭を記念して奉納されました。(下写真)

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下写真が石鳥居の前から見上げた久能山東照宮です。急な断崖であることがよくわかると思います。

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# by wheatbaku | 2024-02-04 22:27 | 徳川家康ゆかりの地
久能山東照宮の御社殿は国宝、その他の建造物は重要文化財《久能山東照宮⑷》(徳川家康ゆかりの地59)

久能山東照宮の御社殿は国宝、その他の建造物は重要文化財《久能山東照宮⑷》(徳川家康ゆかりの地59

 久能山東照宮は、御社殿(本殿・拝殿・石の間)が国宝に指定されているほか、13棟の建造物が重要文化財に指定されているという文化財の宝庫です。国宝の御社殿(本殿・拝殿・石の間)のほか、重要文化財に指定されている13の建造物はつぎのとおりです。⑴楼門、⑵神厩(しんきゅう)、⑶鼓楼(ころう)、⑷神饌所(しんせんじょ)、⑸神楽殿(かぐらでん)、⑹神庫(しんこ)、⑺日枝神社本殿、⑻東門、⑼唐門、⑽玉垣(たまがき)、⑾渡廊(わたりろう)、⑿廟門(びょうもん)、⒀神廟(しんびょう)

 前回は⑴楼門から⑺日枝神社本殿までご案内しましたので、今日は、⑻東門以降の重要文化財を紹介します。

⑻東門

 御社殿(本殿、拝殿、石の間)にお参りするルートは日枝神社をお参りした後お参りするルートでした。このルートで日枝神社から東照宮の拝殿にお参りする際に門があります。これが東門です(下写真)。久能山東照宮のホームページには、この東門が重要文化財の一つとして紹介されていませんが、文化庁の文化財データで確認すると東門が重要文化財に登録されています。

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⑼唐門(重要文化財)

拝殿正面にある門で、屋根は銅瓦本葺黒漆塗の四方唐破風造の門です。下写真は、正面からみた唐門です。

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⑽玉垣(重要文化財)

玉垣は御社殿の周囲にめぐらされた垣です。玉垣の腰に透彫の彫刻があります。下写真の奥は拝殿前から見た唐門でその手前に写っているのが玉垣です。

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【御社殿《国宝》】

御社殿は、本殿、拝殿、そして本殿と拝殿をつなぐ石の間からなっています。この本殿、拝殿、石の間からなる様式は「権現造」と呼ばれています。数多くの東照宮がこの様式で建てられています。元和3年(1617)に江戸幕府大工棟梁中井大和守正清により建立されました。平成22年に国宝に指定されました。下写真は東門から撮った拝殿です。

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※拝殿の蟇股には甕割(かめわり)の彫刻があります。これは中国の故事で、政治家芝温公が子供の頃、一緒に遊んでいた友達が水甕(みずがめ)に落ちてしまし、それを救うために高価な甕を割ったというお話です。「命の大切さ」を表していると言われています。
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※逆さ葵 社殿の軒先をみると葵の御紋が逆さになっている部分があります。これは建物が未完成であることを表していて、さらなる発展への願いが込められているそうです。下写真の2段目の左から5番目の葵が逆さになっています。

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 下写真は、左手からから写した拝殿です。

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 上写真を撮ったあとふとふりかえると「山下より1159段、家康公御廟所まで40段」と書かれた説明板がありました。久能山の山麓から徳川家康のお墓までは約1200段の石段を登るんですね。すごい石段の数です。

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廟門(重要文化財)

廟門は、本殿の後方西側にある廟所に通ずる門です。以前は御宝塔御門と呼んでいたそうです。

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渡廊(わたりろう:重要文化財)

 渡廊は、重要文化財に登録されていますが、久能山東照宮ホームページの境内図および境内案内にも載っていませんでしたので、久能山東照宮博物館に問い合わせて尋ねました。すると渡廊は、神饌所(しんせんじょ)から御社殿に通じる廊下だそうです。東照宮に勤めている人たちだけが利用できる部分で一般に公開していないので、境内図や境内案内には載せていないとのことでした。一般公開していないため写真も撮れませんでした。

⒀神廟(しんびょう)(重要文化財) 

神廟は御社殿からは40段の石段を登ります。文化庁では廟所宝塔と呼んでいるようです。ここは徳川家康の遺骸を埋葬した所です。以前は御宝塔と称していたそうです。 元和2年(1616)の創建当初は木造桧皮葺の造りでしたが、寛永17年(1640)に3代将軍徳川家光により現在の石造宝塔に造替されました。宝塔の高さは、5.5メートル、外廻り約8メートル、前面に唐戸があります。軒の四隅に唐銅の風鐸が掛かっています。神廟は徳川家康の遺命により西を向いています。

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※金のなる木  宝塔の右脇に「金のなる木」と呼ばれている楠があります。
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 その根元の説明板には次のように書かれています。「ご祭神徳川家康公の多くの遺話の中に「金の成る木」があります。これには前面右の楠の大樹がふさわしいと思われます。

徳川家康公が家臣に『金の成る木』について問われたところ誰も知らず、家康公は自ら筆をとられて幹三本を描き、『よろず程のよ木(万ほどの良き)』『志ひふかき(慈悲深き)』『志やうぢ木(正直)』と懸かれ、「これを常々信用すれば必ず富貴が得られよう」と言われたそうです。その後、細川忠興公がこれに左右の枝を描き『あさお木(朝起き)』『いさぎよ木(※潔き)』『志んぼうつよ木(※辛抱強き)』『ゆだんな木(※油断なき)』『ようじょうよ木(養生よき)』『かないむつまし木(※家内睦まじき)』と書き加えられ、(※家康は)「左右の枝が繁昌するならば一段と富貴が得られるであろう。皆々この『金の成る木』を写し取って家内のものに教えるように」と命ぜられたといいます。」

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家康公愛馬之霊所 宝塔の裏側の右手奥に『家康公愛馬之霊所』という木札が建てられています。久能山東照宮ホームページの神厩(しんきゅう)の説明に「家康公の愛馬は神廟裏手石垣の南隅に埋葬されたとされています」と書かれていますが、ここが徳川家康の愛馬が埋葬された場所のようです。

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# by wheatbaku | 2024-01-31 22:00 | 徳川家康ゆかりの地
久能山東照宮は重要文化財の宝庫《久能山東照宮⑶》(徳川家康ゆかりの地58)

久能山東照宮は重要文化財の宝庫《久能山東照宮⑶》(徳川家康ゆかりの地58

 久能山東照宮は、表参道から参拝する場合は山麓からは1159段の石段を登る必要があります。しかし、ロープウェイを利用した場合には、久能山駅を降りると社務所がすぐ見えてきます。(下写真)

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そこで拝観料を支払って北方向に向かって登り坂となっていますので、そこをからも約100段の石段を登っていくと御社殿に到着します。さらにその上に家康が埋葬された神廟があります。下写真がロープウェイの久能山駅に掲示されていた東照宮の境内図です。

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久能山東照宮は御社殿(本殿・拝殿・石の間)が国宝に指定されているほか、13棟の建造物が重要文化財に指定されているという文化財の宝庫です。国宝の御社殿(本殿・拝殿・石の間)のほか、重要文化財に指定されている13の建造物はつぎのとおりです。国宝の御社殿は元和3年(1617)建立され、13の重要文化財のうち唐門は元和3年建立ですが、残りはすべて元和4年に建立されています。

⑴楼門(ろうもん)、⑵神厩(しんきゅう)、⑶鼓楼(ころう)、⑷神饌所(しんせんじょ)、⑸神楽殿(かぐらでん)、⑹神庫(しんこ)、⑺日枝神社本殿、⑻東門、⑼唐門、⑽玉垣(たまがき)、⑾渡廊(わたりろう)、⑿廟門(びょうもん)、⒀神廟(しんびょう)

 東照宮の楼門の先にある建物はほとんどが国宝か重要文化財ということなります。そのため、国宝・重要文化財すべてを書くと長くなるので、今回は⑴楼門から⑺日枝神社本殿までご案内します。

⑴楼門(ろうもん:重要文化財)

社務所受付を通ると左手に見える朱塗りの大きな門が楼門です。

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 2階建ての門で、軒下中央に第108代後水尾天皇の宸筆「東照大権現」の扁額が掲げてあります。その為、「勅額御門」とも言われています。
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 楼門中央の蟇股(かえるまた)に獏(ばく)の彫刻が彫られています。獏は鉄や銅を食料とすることから平和の象徴とされるそうです。
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 表側左右の格子戸内に随身(ずいしん)、裏側左右の金剛柵内に狛犬が据えられていますが、写真を撮り忘れました。

楼門の裏側の左手には家康の手形がありました。この手形を写した色紙【1500円】を販売していました。(下写真)

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※家康梅 楼門をくぐった右手には家康がお手植えをしたといわれている「家康梅」が植えられています。(下写真)

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 説明板には次のように書かれていました。「家康梅 奉納者丸子梅園 徳川家康公は生前“梅”をこよなく愛され、中でもこの『家康梅』は水戸の初代藩主頼房公(家康公十一男)の出産を祝い、無事成長を祈り家康公自らお手植えされたと伝わる。当初は浜松城内で栽培されていたが、後に水戸に移され、その後静岡の丸子梅園にて接ぎ木して育成したものを由緒深き久能山東照宮に植樹されたものである。」なお、徳川頼房は、慶長8年(1603)に伏見城で生れています。

神厩(しんきゅう:重要文化財)

 楼門をくぐった左手に神厩があります。神厩とは馬小屋のことです。

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 創建当時は徳川家康の愛馬を飼育していたそうですが、現在は、木像の神馬が納められています。この木像の神馬は名工左甚五郎作と伝えられているそうです。なお、家康の愛馬は神廟裏手石垣の南隅に埋葬されたとされています。

⑶鼓楼(ころう:重要文化財)

楼門一帯から石段を上がると右手には鼓楼があります。鼓楼は、創建当時は、鐘が吊るされていたため鐘楼と呼ばれていましたが、明治初年の神仏分離の際に鐘を太鼓に替えたことにより鼓楼(ころう)と改められたそうです。

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※五重塔跡 鼓楼の向かい側に江戸時代には3代将軍家光により建立された高さ約30メートルの五重塔がありました。しかし、明治時代の神仏分離の際に取り払われて、礎石だけが残されています。五重塔の跡には蘇鉄が植えられていますが、これは駿府城内にあった蘇鉄が移植されたものです。

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⑷神饌所(しんせんじょ:重要文化財)、⑸神楽殿(重要文化財)

 鼓楼のある場所から一段高くなった場所(唐門の下)の左手(西側)に神饌所、右手(東側)には神楽殿があります。下写真の中央が唐門、左手が神饌所、右手が神楽殿です。

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神饌(しんせん)とは神様へのお供え物のことで、神饌所はそれを準備する所です。神楽殿の西側に位置し渡廊によって社殿と連結しています。毎朝、神職が奉仕する日供祭を始め、すべて神様にお供えする神饌は、ここで調理されているようです。

※実割梅(みわりうめ)

神饌所の前で唐門下にあたる場所に「実割梅」と呼ばれる梅があります。

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 実割梅は徳川家康が駿府城で自ら育てていたものだそうです。江戸時代、駿府城ではこの実割梅から梅干を漬け、東照宮に納める仕来りだったそうです。明治9225日に駿府城から東照宮へ移植されました。

⑹神庫(しんこ:重要文化財)

神楽殿の北東に奈良の正倉院と同じ校倉造りの建物がありますが、これが神庫です。東照宮博物館ができるまでは神社の宝物類が納められていたそうです。写真はちょっとぼけてしまっていますがご容赦ください。

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⑺日枝神社(重要文化財)

 御社殿の東側に日枝神社があります。御祭神は大山咋命(おおやまくいのみこと)です。創建当時は本地堂(ほんじどう)として薬師如来像が安置されていました。東照大権現の本地仏(ほんじぶつ)は薬師如来だとされていますので、薬師如来を祀ってあることから本地堂と呼ばれました。明治時代の神仏分離により、薬師如来像を移し、楼門内東側に鎮座していた山王社の御神体を納めて日枝神社と改めたとのことです。

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# by wheatbaku | 2024-01-27 22:00 | 徳川家康ゆかりの地
  

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