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小栗上野介、横須賀製鉄所建設を造る(横須賀軍港ものがたり⑤)

小栗上野介、横須賀製鉄所を造る(横須賀軍港ものがたり⑤)

 ヴェルニー公園の小栗上野介忠順(以下「小栗上野介」)とヴェルニーの胸像の脇に、軍港都市横須賀の礎となった横須賀製鉄所を建設した小栗上野介とヴェルニーを顕彰する碑「開港碑」があります。石碑は高さ112㎝の小さな石碑ですので、注意して探さないと見落としてしまいそうです。下写真が「開港碑」です。

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「開港碑」には次のように刻まれています。石碑は昭和28年に建立されたもので、原文はカタカナ交じり文ですが、読みやすいように平仮名に変えてあります。


開港碑

 徳川幕府の末期時の勘定奉行小栗上野介は海国日本に造船所の必要を覚(さと)り百般の費用を節し囂々(ごうごう)たる非難の中に仏国より技師ウエルニー(※ヴェルニーのこと)を招き横須賀製鉄所を設く 

 ウエルニー(※ヴェルニーのこと)は此の設立に従事すること前後十年萬難を排して之を完成す両氏の功や横須賀市今日の礎なりと信ず

 小栗上野介とヴェルニーの胸像との位置関係。写真左端に「開港碑」があります。

小栗上野介、横須賀製鉄所建設を造る(横須賀軍港ものがたり⑤)_c0187004_20034809.jpg

 ここに書かれているように、横須賀製鉄所(造船所)建設にあたって大きな役割を果たしたのは小栗上野介とヴェルー二―です。小栗上野介が横須賀製鉄所(造船所)建設を計画し、ヴェルニーが工事の指揮をとり建設したのです。

 そこで、今日は、横須賀製鉄所(造船所)の建設を計画した小栗上野介について、「新横須賀市史」を参考に詳しく書いていきます。
小栗上野介、横須賀製鉄所建設を造る(横須賀軍港ものがたり⑤)_c0187004_12055955.jpg

 なお、現在は製鉄所と言うのは「鉄鉱石から鉄を製(つく)る工場」を意味しますが、幕末から明治初期にかけては、製鉄所は「鉄を製(つく)るだけでなく、さらに鉄製品まで製作する工場」を意味していました。現在で言えば、製鉄所だけでなく、造船所や機械工場までも含めたものでした。従って、横須賀造船所も、建設当初は横須賀製鉄所と称されていて、明治4年に横須賀造船所に改称されました。ここでは、横須賀製鉄所(造船所)と表記しておきます。

 ペリー来航以来、海軍力の強化が叫ばれました。海軍力を強化するに最も必要なことは軍艦を保有することです。この軍艦の保有の仕方について幕府内には大きく分けて二つの考えがありました。一つが外国から完成した軍艦を買えば良いという考えで、買船派と言われました。もう一つの考えが、自国で軍艦を造るべきであると言う考えで、造船派と言われました。

小栗上野介忠順は、遣米使節の一員としてアメリカに渡った際に、ワシントン造船所を視察して大きな刺激を受けて、自国で軍艦を造るべきであるという考えを強くもっていました。

その小栗上野介が、元治元年8月に3度目の勘定奉行に任命されましたが、その当時、幕府では、すでに外国から買い入れた多くの軍艦を所有していましたが、中には老朽艦船もあって、その故障の修理のために時間と経費がかかって苦労していました。

 元治元年秋、幕府所有の蒸気船翔鶴丸が故障しました。そこで、若年寄酒井忠眦(ただます)は、たまたま横浜に入港していたフランス軍艦ゲリエール号に、翔鶴丸の故障を修復するように頼んでほしいとフランス語に堪能な栗本鋤雲(じょううん)に命じました。

 これ以前の元治元年3月に、フランスの新任公使としてレオン・ロッシュが着任しました。ロッシュは幕府に接近する方針をとりました。

 栗本鋤雲(じょううん)は、箱館に勤務していたことがあり、その頃に知り合ったカションがロッシュの書記であったことから、ロッシュとも親しく付き合うようになっていました。

 そこで、命を受けた栗本鋤雲(じょううん)は、ロッシュを訪ねて翔鶴丸の修理を依頼しました。ロッシュは、フランス東洋艦隊司令長官のジョレス提督に相談した上で、フランス軍艦ゲリエール号に乗艦していた技師や職工たちの手によって修理が行われ、不足した部品は上海から取り寄せるなどして、二か月足らずで翔鶴丸の修理が完了しました。

 このことを聞いた小栗上野介は、栗本鋤雲(じょううん)とともに、113日、ロッシュを訪ね、造船所を建設する計画を明らかにし、わが国の造船所建設について技術的な助言や指導をしてくれる人物の紹介を要請しました。

これに対して、ロッシュはジョレス提督と相談したうえで、本格的な造船所の建設すよう勧め、上海にいる造船技師ヴェルニーが、任務を終えて帰国するところなので、近日中に日本へ来るように連絡を取ることができるとした回答を栗本鋤雲に寄せてきました。

この回答書は、栗本鋤雲から小栗上野介へ届けられ、小栗上野介はただちに老中へ届け、急いでロッシュに回答するよう要請しました。

これに対して、幕閣は異例ともいえる素早い対応をし、元治元年1110日付けで、老中水野忠精・阿部正外(まさと)・諏訪忠誠(ただまさ)の三人の連名で、ロッシュに、製鉄所建設と船舶建造の経験を持つフランス人技師の斡旋・紹介を正式に依頼しました。

1126日には、ロッシュの要望によって日仏合同の造船所建設予定地の調査が行われました。日本側からは小栗上野介・栗本鋤雲、軍艦奉行の木下謹吾らが参加し、フランス側は公使ロッシュ、提督ジョーライスのほかフランス軍艦の艦長・士官などが、順動丸に乗って調査しました。はじめは予定した長浦沖に赴き、地勢を点検し、湾内の深度などを測定しましたが、水深が浅いため問題があることがわかりました。 

そこで、隣の横須賀湾に回って測量したところ、ここは湾の形が曲折しているうえ、水深が深くて港の適地あることがわかりました。さらに、ここの地形がフランスのツーロン(地中海にあるフランス第一の軍港)に似たところがあるとして、横須賀湾が造船所建設の最適地であるという結論になりました。

年が明けて、元治2129日付けで、幕府は造船所建設担当の老中水野忠精と若年寄の忠眦(ただます)の名前で、ロッシュに対して、ヴェルニーを首長に据えて、4か年以内に製鉄所1ヶ所・修船所2ヶ所・造船所3ヶ所・武器庫・職人住宅などを建設する。その費用は年間60万ドル、四年で合計240万ドル支払うという約定書を渡しています。

こうして、いよいよ横須賀製鉄所(造船所)の建設が始まることになりました。

小栗上野介は、栗本鋤雲の協力を得ながら、フランス公使ロッシュと熱心に交渉するとともに、幕閣に強く働きかけています。

この小栗上野介の力強い働きがあってこそ横須賀製鉄所(造船所)の建設が決定したのだと思います。つまり、横須賀製鉄所(造船所)は、小栗上野介が造ったといえるのです。


# by wheatbaku | 2022-05-05 19:51 | 近代化に貢献した幕臣
小栗上野介忠順の生涯(横須賀軍港ものがたり④)

小栗上野介忠順の生涯(横須賀軍港ものがたり④)

 横須賀が軍港都市として発展したきっかけは、横須賀製鉄所(造船所)が横須賀に建造されたことによります。その横須賀製鉄所(造船所)の設置・建造に大きな役割を果たしたのが小栗上野介忠順とフランス人技師ヴェルニーです。そうしたことがあるため、前回ご案内した通り、ヴェルニー公園に二人の胸像が建てられています。(下写真)

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 今日からは、二人について詳しく書いていこうと思いますが、まず小栗上野介忠順から始めます。今日は、小栗上野介忠順の生涯について書いてみます。下写真は、上記銅像の拡大写真です。昭和27年9月27日に挙行された除幕式には、小栗上野介の曽孫の方も参列したそうです。

小栗上野介忠順の生涯(横須賀軍港ものがたり④)_c0187004_06445336.jpg

 小栗上野介忠順は、文政10年(1827623日、2500石の旗本小栗家に父小栗忠高の長男として駿河台の小栗家に生まれました。(下写真は駿河台の小栗家跡に建つ説明板です。以前訪ねたものです。)

小栗上野介忠順の生涯(横須賀軍港ものがたり④)_c0187004_21411489.jpg

 その後、天保14年(1843322日  初めて江戸城に登城。13代将軍徳川家慶に初御目見えした後、弘化4年(1847416日 西の丸書院番に召し出されました。

 安政2年(1855728日父忠高が病死したため、1022日家督を相続し又一と改名しました。その後、順調に昇進し、安政4年(1857111日使番になりました。その後、安政6年(1859)に目付に任命され、いわゆる万延元年遣米使節の一員となりアメリカに渡ったことが大きな転機となります。そして、帰国後は、幕府の要職を歴任します。

 小栗上野介忠順は、多くの役職を歴任しています。特に勘定奉行(勝手方)は4回も任命されています。(下記職歴の赤字部分)

 そのため、2003年にNHKで放映されたドラには「またも辞めたか亭主殿―幕末の名奉行・小栗上野介」というタイトルがつけられています。

そこで、「小栗忠順のすべて」に載っている「小栗忠順年譜」をもとに小栗上野介忠順の幕府で役職がどうであったのかその変遷をまとめてみました。

【小栗上野介忠順の職歴】

・安政6年(1859

912日  使番から目付に昇進。

913日、 日米修好通商条約批准のための使節として渡米を命じられる。

1121日  豊後守に任官。

・万延元年(1860

122   アメリカに向けて横浜出帆 

38日   サンフランシスコ到着、

325日 ワシントン到着、

328日 ワシントンで米国ブキャナン大統領に国書奉呈 

512 ナイヤガラ号でニューヨーク出発 

927日  ナイヤガラ号品川に到着

118   目付から外国奉行に異動。

・文久元年(1861

46日 ロシア軍艦対馬占拠事件の報を受け、対馬に出張。

510 対馬着。軍艦艦長ビリレフと交渉。その後2度の交渉を行う。

726 外国奉行を罷免される。

・文久2年(1862

39日   小姓組番頭に任じられる。

65日   勘定奉行(勝手方)に任じられる。

825日 江戸南町奉行に任じられる。

121日   歩兵奉行兼勘定奉行(勝手方)に任じられる。

・文久3年(1863

728 陸軍奉行並に任じられる。

8月  陸軍奉行並を罷免される。

・元治元年(1864

813勘定奉行(勝手方)となる。

129日  勘定奉行を罷免される。

1218軍艦奉行に任じられる。

・慶応元年(1865

1月   栗本瀬兵衛らと共に横須賀製鉄所建設担当に任ぜられる。

129 フランスと製鉄所建設の約定書を取り交わす。

221 軍艦奉行を免じられる。

54 勘定奉行(勝手方)④任じられる。

・慶応2年(1866

 4月    兵庫商社設立の建議書を提出する。

 65日   兵庫商社設立

 8月    海軍奉行を兼任

・慶応3年(1867

1月     パリに出発する徳川昭武一行に訓示する。

・慶応4年(1868

115日  勘定奉行他全役職を罷免される。

 慶応412日に始まった鳥羽伏見の戦いに敗れて江戸に帰ってきた徳川慶喜に対して薩長側と徹底的に戦うという主戦論を唱えた小栗上野介忠順は、恭順の意思を固めていた徳川慶喜により罷免されてしまいます。

 そこで、小栗上野介忠順は、新政府軍との戦い・交渉に加わらず静かに暮らすつもりで、慶応4228日に江戸を発ち、自分の領地であった上州権田村(現在の高崎市)に向かいます。

 しかし、中山道を進んできた新政府軍は、慶応4年閏45日、小栗上野介忠順を逮捕し、翌6日に、権田村の水沼河原で斬首されてしまいます。享年42歳でした。

 小栗上野介忠順が斬首された水沼河原には「偉人小栗上野介罪なくして此所に斬らる」と刻まれた大きな顕彰慰霊碑が建てられています。(下写真)

小栗上野介忠順の生涯(横須賀軍港ものがたり④)_c0187004_21411476.jpg




# by wheatbaku | 2022-05-02 21:33 | 近代化に貢献した幕臣
横須賀市ヴェルニー公園 (横須賀軍港ものがたり③)

横須賀市ヴェルニー公園 (横須賀軍港ものがたり③)

 JR横須賀線横須賀駅を降り立ち、駅舎を出ると海沿いに広い公園が広がっています。これがヴェルニー公園です。今日は、このヴェルニー公園をご案内します。ヴェルニーとは横須賀と縁の深いフランス人の名前です。下地図は、現地の案内板にあった公園の地図です。

横須賀市ヴェルニー公園 (横須賀軍港ものがたり③)_c0187004_18285167.jpg

横須賀駅

ヴェルニー公園は、JR横須賀駅の目の前にあります。横須賀駅は、明治226月に開通した横須賀線の終着駅で現在の駅舎は昭和15年に造られたものです。横須賀線は、大船駅を始発として横須賀までが明治22年に開通し、その後、昭和19年に久里浜駅まで延伸されました。

横須賀駅は、海軍横須賀基地や観音崎周辺の陸軍砲台に人や物資を運ぶためにできた駅です。資材などを素早く簡単に列車に積み降ろしできるように考慮されたため、全国的にも珍しい階段のない駅となっています。また、プラットホームの屋根の柱や梁に古いイギリスとアメリカ製の鉄道レールが再利用されています。

横須賀市ヴェルニー公園 (横須賀軍港ものがたり③)_c0187004_18225841.jpg

ヴェルニー公園

 ヴェルニー公園は、昭和21年に開園した公園で、当初は臨海公園と呼ばれていましたが、平成14年に、ヴェルニー公園と改称されました。

 ヴェルニーは、幕末期に横須賀製鉄所の建設に尽力し、横須賀発展の基盤をつくったフランス人技師です。

 園内にはフランス式花壇が整備され、小栗上野介忠順とヴェルニーの胸像、ヴェルニー記念館などがあります。また、公園からは横須賀港を一望でき、係留されている艦船を見ることができます。公園から見て、右手に米海軍基地、左手に海上自衛隊地方総監部が望めます。

横須賀市ヴェルニー公園 (横須賀軍港ものがたり③)_c0187004_18225803.jpg

ヴェルニー記念館

横須賀駅から海に向かって進むと1分ほどでヴェルニー記念館に着きます。

ヴェルニー記念館は、横須賀製鉄所(造船所)の建設と開業に大きな功績を残したフランス人ヴェルニーの業績を紹介しています。そのほか、横須賀製鉄所で使っていた3トンと0.5トンのスチームハンマーも展示されています。ヴェルニーとヴェルニー記念館についての詳しい説明は後日行う予定です。
 下写真は、横須賀駅の駅前からみたヴェルニー記念館です。

横須賀市ヴェルニー公園 (横須賀軍港ものがたり③)_c0187004_18285151.jpg

逸見(へみ)波止場衛門

 通称「逸見波止場衛門」は、正式名称は「海軍場番兵塔・軍港正門門柱」といい、横須賀軍港の正門でした。1930年頃に造られたようです。

 左側の塔には「逸見上陸場」、右側は「軍港逸見門」と表示されています。高さ約4メートル、屋根は銅板葺きドーム型。本体は八角形の鉄筋コンクリート造りで、外壁はタイル張りです。

 当時は、門を入ると正面に、海軍鎮守府や海軍工廠に向かうための船着き場あり、横須賀軍港への船が発着していたそうです。

 逸見波止場衛門は、日本遺産構成文化財の一つとなっています。

横須賀市ヴェルニー公園 (横須賀軍港ものがたり③)_c0187004_22133992.jpg

小栗上野介忠順とヴェルニーの胸像

ヴェルニー公園の中央部は、開明広場と呼ばれていますが、そこに小栗上野介忠順とヴェルニーの胸像が並んで建っています。小栗上野介忠順とヴェルニーは須賀造船所建設に大きな役割を果たし近代日本の礎を築いた人物です。二人については、後日、詳しく説明します。

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ヴェルニーと小栗忠順の胸像のすぐ後ろには、小栗上野介忠順が斬首された上野国権田村(現在の高崎市倉渕村権田)の烏川の河原の石が「記念石」として置かれています。この石は、昭和28年にこの公園で開かれた開港祭の時、当時の群馬県群馬郡倉渕村から寄贈されたものです。(下写真)

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ティボディエ邸

ティボディエ邸は、横須賀製鉄所副首長ジュール・セザール・クロード・ティボディエの官舎で、明治2年頃に建築された建物です。平成15年の解体され、ヴェルニー公園内に移設復元されています。建物の中では横須賀製鉄所の歩みなどが展示されています。

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正岡子規の文学碑

ヴェルニー公園の西端には、正岡子規の文学碑「横須賀や只帆檣の冬木立」があります。正岡子規は、明治218月、夏季休暇を利用して、友人と汽船で浦賀に着き、横須賀・鎌倉で過ごしました。碑の句は、この時に詠んだ句で、句集「寒山落木」に収録されています。

横須賀市ヴェルニー公園 (横須賀軍港ものがたり③)_c0187004_18225715.jpg







# by wheatbaku | 2022-04-28 18:18 | 近代化に貢献した幕臣
軍港都市横須賀の歴史(横須賀軍港ものがたり②)

軍港都市横須賀の歴史(横須賀軍港ものがたり②)

 横須賀は、旧海軍と深い関係があり、軍港都市とよばれます。一般的に軍港都市とは、海軍の鎮守府が設置された都市をいい、横須賀、佐世保、呉、舞鶴の四市が軍港都市と呼ばれています。

横須賀市役所のホームページには、旧軍港四市と言う言葉がしばしば出てきます。そして、横須賀市は他の市と一緒に旧軍港四市として活動をしているようです。その代表的な事柄が旧軍港四市が日本遺産に認定されたことでしょう。横須賀市は、他の旧軍港都市(呉市・佐世保市・舞鶴市)と一緒に日本遺産の共同申請を行い、平成28年に日本遺産に認定されています。

ちなみに「日本遺産認定横須賀市の構成文化財一覧」をご参考にリンクしておきます。


 下写真は日本遺産認定横須賀市の構成文化財の一つである「逸見波止場衛門」です。ベルニー公園の中に残されています。

軍港都市横須賀の歴史(横須賀軍港ものがたり②)_c0187004_22133992.jpg

 横須賀が海軍と深い関係をもつきっかけは横須賀製鉄所が建設されたことです。横須賀製鉄所は「、慶応元年(18651115日、起工式が行われ、明治4年(1871)に第1号ドックが完成しました。そして、横須賀製鉄所という名称も、明治4年に横須賀造船所と改められました。

 その後、明治17年に横須賀に海軍鎮守府が置かれました。横須賀は旧軍港四都市の中で最も早く鎮守府が設置されています。

鎮守府は、旧海軍の機関で、艦船の管理、海上防衛を担っていました。その前身は、明治4年に兵部省内に設置された海軍提督府です。明治8年、東海鎮守府がまず横浜に仮設され,明治17年には横須賀に移転されて、名称も横須賀鎮守府となりました。そして、横須賀鎮守府は、横須賀造船所も管轄下におきました。

 その後、鎮守府は、横須賀のほかに,明治22年に呉と佐世保に,明治34年に舞鶴に設置されています。

 明治36年、横須賀造船所は、海軍が直轄管理する横須賀海軍工廠となりました。

 第二次世界大戦での日本の敗戦により昭和209月に横須賀海軍基地はアメリカ海軍に接収され、それ以降現在まで、アメリカ海軍横須賀基地として使用されています。

 一方、昭和27年に海上警備隊が設置され、昭和29年には海上自衛隊となり、横須賀が拠点の一つとなりました。海上自衛隊の基地は、横須賀のほか、呉、佐世保、舞鶴、大湊(むつ市)にあります。



# by wheatbaku | 2022-04-25 21:42 | 近代化に貢献した幕臣
軍港めぐり(横須賀軍港ものがたり①)
軍港めぐり(横須賀軍港ものがたり①)

昨日、用事があり横須賀に行ってきました。良い機会なので、横須賀「軍港めぐり」をしてきました。

 「軍港めぐり」は、横須賀港と隣の長浦港をクルーズするもので、アメリカ海軍や海上自衛隊の艦船が間近で見られることをセールスポイントとしています。

 そのセールスポイントの通り、昨日は、多くの艦船を見ることができましたので、写真でご紹介します。

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 まず、「軍港めぐり」のルートは下のパンフレットの通りです。汐入桟橋を出航して45分で戻ってくるコースです。出航すると右手がアメリカ海軍横須賀基地で左手に海上自衛隊の横須賀基地が見えるルートです。

 

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軍港めぐりのチッケト売り場は汐入桟橋近くの『Coaska Bayside Stores』(コースカ ベイサイド ストアーズ)という複合商業施設の2階にあります。クルーズの料金は1600円です。事前予約が基本ですが、空きがあれば当日でも乗れるそうです。

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汐入桟橋に停泊中のクルーズ船。現在の定員は120名となっています。

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出航すると間もなく、左手に海上自衛隊の護衛艦「きりしま」「まや」が見えてきました。手前の艦首に174と書かれているのが「きりしま」で、その右手の179が「まや」です。

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横須賀港に入港してきた海上自衛隊の潜水艦。艦上に水平が登っていて、着岸の準備中です。

 海上自衛隊の潜水艦は、横須賀と呉だけに配備されているそうです。さらに、潜水艦が入港してくるタイミングに遭遇するのは非常にまれだそうです。

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横須賀港の中で、最大艦船が、アメリカ海軍の空母「ロナルド・レーガン」ですが、「ロナルド・レーガン」が運よく、停泊していました。

遠くからみても大きな船であることがわかります。乗員は約5千人で、艦内には「一つの街」なみの様々な施設が完備されているそうです。

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沖合に停泊している護衛艦「いずも」です。護衛艦「いずも」はヘリコプター搭載護衛艦で「ヘリ空母」と呼ばれる海上自衛隊で最大の艦船です。

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上空からの写真でみると「ヘリ空母」と呼ばれるのももっともだと思います。下写真「出典:海上自衛隊ホームページ」

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長浦港では、護衛艦「たかなみ」が停泊していました。

「たかなみ」の前部に装備されている大砲は、単装速射砲と言われているそうで、射程距離は24kmあり、横須賀からだと『横浜のみなとみらい』にあるドラム缶に命中させることができるそうです。

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クルーズ最終段階で汐入桟橋に戻る際に、右手に護衛艦「はぐろ」が停泊していました。

護衛艦「はぐろ」は、2021年に就航した最新鋭艦です。佐世保基地配備ですので、横須賀で見られるのは珍しいとのことです。

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「軍港めぐり」では、滅多にみることのできないアメリカ海軍や海上自衛隊の軍艦を間近に見ることができました。案内人の方の説明もわかりやすくよく理解できました。そんなことで楽しい経験でした。


なお、海上自衛隊の艦船には、艦番号というものが艦首に書かれていて、それをみれば艦名もわかることを知りました。ただ、潜水艦だけは秘密性が高いため艦番号は書かれていないそうです。ですから、昨日、入港して来た潜水艦の名前もわからないそうです。









# by wheatbaku | 2022-04-22 20:58 | 近代化に貢献した幕臣
  

江戸や江戸検定について気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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