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八朔 (江戸の祭礼と歳事)

 8月1日は「八朔」と呼ばれます。

 「八朔」、徳川家康が初めて江戸に入府した日であるということをご存知の方はかなりいると思います。

 もともと、8月1日は、昔から「田実(たのみ)の節」でした。

c0187004_11445109.jpgこの日は農家では今年収穫された稲などを神様に供えたり、主家や知人などに贈って、豊かな実りを祈願していました。

「たのみ」には「田の実」と「頼み」という二つの意味が込められていました。

八朔の頃は、二百十日など台風が襲来する時期にあたります。この時期を無事に過ごせるようにと八朔の日に神様に祈願しました。

それが、武家や町人にひろがり、「八朔のお祝い」と呼ばれる贈答が盛んに行われるようになったようです。

そして、天正18年の8月1日に徳川家康が初めて江戸に入ったことから、江戸時代には「八朔の祝儀」として盛大にお祝いが行われました。

そのため、東都歳事記には次のように書かれています。

八月朔日 八朔御祝儀、(五ツ時白帷子にて御礼あり)貴賤佳節を祝す。(今日を田実(たのみ)といひて、往古よりの佳節とすれども、東都にては、わけて祝すべき日なり、天正18年8月1日、台駕はじめて江戸に入らせ給ふ、かくてぞ四海昌平に帰し、萬民鼔腹して樂しむにあらずや、神恩たれか尊み祝し奉らざるべき、公にも五度の佳節より、わけて祝はせらるるとぞ聞えし。

東都歳事記によれば、五節句以上のお祝いがされたと書かれています。

この八朔の祝儀の際には、東都歳事記にも書かれているように装束は白帷子だったようです。

この日に白帷子を着るのは、8月の「節」を「白露」ということによるようで、東都歳事記には次のように書かれています。

元祿の頃、清原長須といふ人の編輯の中に、江城八朔の白かたびらは、八月の節を白露といふによるかといへり

 なるほど、二十四節気の「白露」に由来するとは知りませんでした。





by wheatbaku | 2015-07-29 11:41 | 江戸の祭礼歳事
紺屋と二十六夜待ち(江戸の祭礼と歳事)
 今日も「二十六夜待ち」の続きです。
 
  「二十六夜待ち」を詠んだ川柳に次のような川柳があります。

一寝入り 寝て 高輪は月見なり
 二十六夜は月齢26の月ですが、月齢26の月の出は、深夜1時から2時ごろになります。
 そのため、一寝入りしてから月見をすると詠んでいるわけです。

三尊の弥陀を生酔い拝むなり
 阿弥陀三尊をよっっぱらいながら拝むということで、信仰心より娯楽の面が強い「二十六夜待ち」を詠んでいいるのでしょう。

 さらに、次のような川柳があります。

 車座に 紺の手の出る 六夜待ち
 月の出を 空色の手で 拝むなり
 六夜待ち 百染ほどな 手を合わせ
 海上を 百染ほどの 手で拝み

 やたらに「紺」や「空色」の手が詠まれています。
 また「百染の手」というのも出てきます。「百染」というのは安っぽい染色をいい、紺色にならない空色を指した言葉です。
 こうした手をしているのは紺屋の職人です。
 これらの川柳は、紺屋の職人が「二十六夜待ち」に大勢集まったものを詠んだ川柳です。

 二十六夜には、紺屋では、愛染明王をお祀りしたそうで、紺屋を中心に「六夜待ち」という講も結成されていたそうです。
   
 愛染明王は、もともとはインドの神様で梵名は「ラーガ・ラージャ」といい、「ラーガ」とは赤色・愛欲を意味することから「愛染明王」と訳されました。
 愛染明王の全身は赤色に塗られ、三目六臂(三つの目と六本の腕)の姿で、獅子の冠を戴き、不動明王のように忿怒の形相をしています。

 愛染明王は、その「愛染」という名前から、愛情を染め付けるという意味に理解され、女性の恋や愛に関する霊験が強調されました。
 そのため、江戸時代は遊女たちの信仰をあつめ、現在でも、水商売の女性たちから信仰を得ているそうです。
 一方、「愛染」という名前は「藍」を「染める」とも読めることから紺屋(染色業者)の信仰も集めました。
 そして、愛染明王の縁日が26日であったこともあって、愛染明王信仰が二十六夜待ちと習合し、紺屋が26日に愛染明王をお祀りするようになったようです。

 宮田登著「江戸の歳事記」によれば、藍玉問屋は江戸に36軒あって株仲間を構成し、これらにそれぞれ紺屋が関係していたそうです。
 そして、江戸だけでなく各地方都市の紺屋仲間たちが一斉に愛染明王を信仰していて、愛染明王は紺屋という職業集団の神様だったそうです。

 東都歳事記には、7月26日に「板橋日曜寺愛染明王開帳」とも書いてあり、26日に、愛染明王が信仰されていたことを記録しています。

 東都歳事記に載っている板橋の日曜寺は、正徳年間の開山といわれ、享保年間には、8代将軍の次男である田安宗武の帰依をうけていた寺院だそうです。
 ついでながら、田安宗武が屋敷を構えた田安台は高台にあることから、二十六夜待ちの名所にもなっていました。




by wheatbaku | 2015-07-28 11:14 | 江戸の祭礼歳事
江戸検講座第2講開かれました!

 昨日は、毎日文化センターの江戸検講座「共に学ぶ『江戸の祭礼と歳事』」第2講が開かれました。

 

c0187004_10021093.jpg 外気も35度を超える暑さでしたが、江戸検まで4ヶ月となり、そろそろ勉強を本格化させる時期ともなってきました。
 そのため、受講される皆さんの熱気が感じられる熱い講座となりました。

 受講される皆さんから数多くの質問が寄せられましたし、こちらからの質問に対しても素早い回答が返ってきました。

 受講いただいた皆さん、お疲れ様でした。

 昨日の講義では、テキストの「祭りだわっしょい!」江戸の祭礼と歳事」のうち「天下祭り」さらに「開帳」「富くじ」「相撲」について解説しました。

今年のお題のなかで、天下祭りの勉強は欠かせないので、天下祭についてすべて解説しました。

c0187004_09310271.jpgそのなかでも、天下祭の山車は種類が多く識別が大変なのですが、特に重要な「江戸型山車」について重点をおいて説明させてもらいました。

また、「祭礼を取り締まる人々」については、他に書いた書物がないことから、特に詳しく説明しました。

昨日の講座には確認テストもありました。「確認テスト」については、最初は驚きとブーイングありましたが、でも、熱心に取り組んでいただきました。(右上写真)


c0187004_09434272.jpg 受講者の皆さんも多くの情報を持っているので、受講者間の情報交換も取り入れました。


 情報交換では、安戸ひろみさんが、自分が書いた「はじめての御朱印ガイド」を紹介してくれました。

c0187004_09382407.jpgきれいな読みやすい御朱印についての入門書だと思います。

Amazonでの販売も好調とのことです。

参加者の皆さんからも好評のようで、講座の会場で購入する人も大勢いました。

講義終了後は、会場を変えての情報交換会です。

今回からは、江戸検が近づいたことから、本当の情報交換をやろうということにしましたが、初めて参加された方の自己紹介もあり、役立つ情報交換ができたと好評でした。

最後に参加者の記念撮影です。

ご参加いただいた皆さんお疲れ様でした。

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 この写真、マダムから借用しました。
 
 




by wheatbaku | 2015-07-26 08:52
「正受院の奪衣婆」 (江戸の祭礼と歳事)
  今日は、「流行神」について書きます。
  「流行神」は「はやりがみ」と読みます。
  「流行神」ってどんな神様かご存知です?
  あまり知られていないだろうと思います。

c0187004_09390664.jpg  その「流行神」が、今年のお題の参考図書「祭りだわっしょい 江戸の祭礼と歳事」の中に書かれています。 後半に書かれているので、まだ、読んでいない方も多いだろうと思いますが、
 「流行神」とは、江戸学事典には次のように書かれています。

 特別な霊験が示されるのを契機として、いっせいにはやり楽車、あっと云う間に遠隔地までその名称が知られるようになり、人々の群参が一定期間つづく。しかしその後はすっかりすたれてしまい、次第に忘れ去れ、その地域でひっそりと祀られている神仏のあり様をさす。

 「江戸の祭礼と歳事」の中に、嘉永2年に「日本橋四日市の翁稲荷」「新宿正受院の奪衣婆」「お竹大日如来」が「流行神」となったと書いてあります。「新宿正受院の奪衣婆」は、以前から知っていましたし、何度か行ったことがありますが、しばらく行っていないので、海の記念日に高田富士に行った日に、新宿まで足を延ばしました。

c0187004_09401627.jpg 正受院は、東京メトロ「新宿御苑前」駅から徒歩5分で靖国通りに面した位置にあります。 正受院は、文禄3年(1594)に創建された浄土宗のお寺です。
 「正受院の奪衣婆」は、入り口得脇のお堂の中に鎮座しています。(右写真)

 奪衣婆というの、「三途の川」 のほとりに立っていて,亡者の衣類をはぎ取る鬼婆です。
 新宿区教育委員会の説明板によれば 「正受院の奪衣婆」は、小野篁の作であるとの伝承があり、また田安家所蔵のものを同家と縁のある正受院に奉納したとも伝えられているそうです。
 また、像底のはめ込み板には「元禄14辛己年奉為当山第七世念蓮社順誉選廓代再興者也七月十日」と墨書されており、元禄年間から正受院に安置されていたことがわかるそうです。

 この奪衣婆像は、片膝を立てていて、右手で握っているのは、亡者たちから奪い取った衣服です。
 頭から肩にかけて頭巾状に綿を被っているため「綿のおばば」とも呼ばれますが、これは、咳止めに霊験があるとされていて、綿は咳止めのお札参りに奉納したと伝えられています。
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 この奪衣婆が、幕末の嘉永2年(1849)頃大変はやり、江戸中から参詣人をあつめましたし、錦絵にも描かれました。
 「藤岡屋日記」には、大勢の参拝客が押し寄せてきて、正受院の僧が暴利を貪ったので、寺社奉行の脇坂淡路守からけん責を受けたことが書かれているようです。
 それほど、賑わったということですね。


赤印が正受院です。新宿三丁目からもそれほど遠くないですね。

 




by wheatbaku | 2015-07-24 09:31 | 江戸の祭礼歳事
高田富士(江戸の祭礼と歳事)
 梅雨明け後の暑い日が続きますが、皆さんいかがお過ごしですか?
その暑さの中、昨日は、早稲田にある水稲荷神社に行ってきました。

 

c0187004_12461401.jpg 水稲荷神社には、江戸で最初に築かれたといわれる「高田富士」があります。 その「高田富士」は、7月19日20日に執行される水神社の祭礼「富士祭」にしか開山されません。



 「高田富士」については、以前から一度は登ってみたいと思っていた富士塚ですが、今年の江戸検の参考図書「江戸の祭礼と歳事」にかなりのスペースをとって書かれていることもあるので、暑い最中に行ってきました。 


 水稲荷神社は、東京メトロ「早稲田」駅から徒歩10分ほどのところにあります。

 御三卿の一つ清水家の下屋敷跡につくれた「甘泉園公園」の南側にあります。


 

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ご由緒によると、水稲荷神社は、天慶4年(941)に 藤原秀郷が旧社地にあった古墳ともよばれる冨塚(とづか)に稲荷大神を勧請し「冨塚稲荷」とよばれました。元禄15年(1702)には御神木のおおきな椋の根本から霊水が湧きだし、眼病に利くとして江戸で評判となり、また、その際に、火難退散の神託があったことから、「水稲荷神社」と称されるようになったそうです。 社殿の前は、お祭りというのに右写真のように閑散としていました。
 聞く所による、祭りの本番は、夕方からとのことでした


「江戸名所図会」には「高田稲荷明神社」として挿絵とともに詳しく書かれています。


 「高田富士」は安永9年(1780)に、食行身勒の弟子の植木職人高田籐四郎(日行)が江戸の高田に10年ほどかけて築いたものです。
もともとは、現在の早稲田大学9号館の建っている場所にあったのですが、早稲田大学のキャンパス拡張のため、現在地に移転し築かれたものです。
 それでは、ちょっとスナップ風に写真をアップしていきます。


高田富士の入り口です 

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 高田富士の由来を書いた看板がありました。

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歌川広重が描いた高田富士の絵です。

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浅間神社が高田富士の麓にありました。

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高田富士の参道入り口です。
浅間神社の脇にあります。
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参道の途中です。

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頂上が見えてきました。頂上には「鉦」がありました。

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「鉦」はみんなの健康と幸せ・安全を願って7回たたきます。
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水稲荷神社の旧地の入り口です。
この道の奥には早稲田大学の9号館があります。
そこに、水稲荷神社があり、高田富士もありました。

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 赤印が水稲荷神社 青印が水稲荷神社の旧地 緑が東京メトロ「早稲田駅」










by wheatbaku | 2015-07-21 09:39
富士講 (江戸の祭礼と歳事)

 皆さん、「富士講」って知っていますか?

 名前は知っている方が多いと思いますが、どんな組織かというのは話題になることは少ないように思います。

 しかし、今年の江戸検のお題「江戸の祭礼と歳事」では、この「富士講」も問題範囲の中です。

 そこで、今日は「富士講」の由来について書いてみます。

 富士講については、江戸検の参考図書「江戸の祭礼と歳事」そして「江戸学事典」に詳しく書かれていますので、それを参考に書いていきます。

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 江戸時代後期には「江戸八〇八講」と呼ばれるほど「富士講」が隆盛を誇りました。

 江戸で富士講をこれほどまでに発展させて中心人物は「食行(じきぎょう)身禄(みろく)」という人物でした。

 「食行(じきぎょう)身禄(みろく)」は通称「伊藤伊兵衛」という伊勢出身の油商人でした。

17歳のとき、富士講の五世行者月行に出会って富士信仰に入り、富士登山45度という大行者でした。

 「食行(じきぎょう)」とは、「食は元なり」という信念を表した名前で、「身禄(みろく)」というのは釈迦入滅後の56億7000万年後に地上に現れるとされている『弥勒菩薩』にちなんだ名前です。

 「食行身禄」は、従来の呪術的な加持祈祷で人を驚かす方法ではなく、

「人は心を平らにして、正直・慈悲・堪忍・情・不足を旨とし、各々の家職を熱心につとめるならば末の世は神の加護により倖せを得る」
 と言って説いて回りました。

 享保17年、西日本に大飢饉が起こり、享保18年には、江戸で初めての打ちこわしが起こり、米問屋の高間伝兵衛の店が襲われました。

 食行身禄は、庶民の食を奪った政治に反発し、世を救うために入定(にゅうじょう:宗教的自殺)することを決意しました。

享保18年、食行身禄は富士山の烏帽子岩で断食入定を始めました。

そして、高弟の田辺十郎右衛門父子に「三十一日の巻」を口述し、約一ヵ月後の7月13日に絶命しました。

遺骸はその場に埋葬され、現在は身勒神社がたっているそうです。

食行身禄入定の知らせは、十郎右衛門によって江戸に伝えられ、市中では瓦版が出たといいます。

 食行身禄の死後、江戸で、富士講は爆発的に拡大していきました。

 この勢いに怖れをなした幕府は度々禁令を出して弾圧を試みましたが、俗に「江戸八百八講 富士講八万人」と呼ばれるほど隆盛を誇るようになりました。




by wheatbaku | 2015-07-17 16:44 | 江戸の祭礼歳事
「刺鯖」と「鯖代献上」(江戸の祭礼と歳事)
 今日は7月15日です。
 「お盆」は、現在では、8月15日が一般的で、7月15日は、「新暦のお盆」などと呼ばれ東京周辺で行われている程度ですが、江戸時代は7月15日が「お盆」でした。

 そこで、東都歳事記を見てみました。すると、東都歳事記の7月15日の項には

〇 中元御祝儀。荷飯(はすめし)・刺鯖(さしさば)を時食とす(刺鯖は、その色、青紫のものを上とす。能登産を上品とし、越中これに亜(つ)ぐ)
〇 良賤生身魂(いきみたま)の祝ひ(七月の盆に、亡者の霊魂来るよしを言ひてまつるより移りて、現存の父母兄弟などの生御たまをいわう意なりとぞ)

と書いてあり、「お盆」については触れられていませんでした。

 しかし、ここでちょっと気になったのが「刺鯖」です。
c0187004_10175541.jpg 江戸検の参考図書「江戸の祭礼と歳事」にも、「七夕(しちせき)には『鯖代献上』がされた」と書かれています なぜか、この時期に「鯖」がでてきます。 そこで、「お盆」より先に「刺鯖」を調べてみました。
 「食べ物語源辞典」では次のように書いてあります。



 さしさば  生鯖を背開きにして塩干しにする。エラとエラを刺してつらねて二枚重ねたものを一刺しとした乾物である。
 
「エラとエラを刺す」というのは、エラの部分を重ねて串で刺すということのようです

 つまり「刺鯖」というのは、鯖の干物のようですね。
 
 江戸時代の初期には、七夕の節句には、「刺鯖」が献上されていました。
のちに本物の「刺鯖」でなく、金銀が現状され、それが「鯖代」と称されるようになったようです。
 
 また、7月15日は「中元」でした。
 「中元」というのは、元々は中国の習俗で,正月 15日が上元(じょうげん)、7月15日が中元、10月 15日が下元 (かげん) と呼ばれ、三つ合わせて「三元」とよばれていました。
「もともとは道教の行事で、すべての罪がゆるされる日とされ、日本ではこれがお盆の行事となる」と「江戸の祭礼と歳事」に書かれています。(7月16日追記)
 現在では、「中元」だけが残っています。
 また、7月15日には、祖霊を敬う行事であるとともに、生きている両親の長寿を祝う「生身魂(いきみたま)」という行事も行われました。

 この「中元」や「生身魂(いきみたま)」のお祝いの席に、「刺鯖」が供されました。
 「刺鯖」は、東都歳事記によれば、能登産が最上で、次いで越中産だったよいです。

 現在も「お中元」の贈り物をする習慣がありますが、この習慣は、江戸時代に「「刺鯖」や「鯖代」を贈っていた習慣に基づくもののようです。





by wheatbaku | 2015-07-15 09:25 | 江戸の祭礼歳事
乞巧奠(きっこうでん)(江戸の祭礼と歳事)

 今日は七夕です。
 七夕の飾り物というと、現在は、笹竹飾りが中心です。

 しかし、七夕は、中国の習俗「乞巧奠」に由来しています。

 この「乞巧奠」は、主に平安時代に宮中で行われた行事です。

江戸時でも、守貞謾稿には、後記のように書かれていて、「乞巧奠」については、詳しく書かれていませんので、あまり行われていなかったものと思われます。

その「乞巧奠」のかざりが、杉並の大宮八幡宮に飾られているので、昨日、行ってみてきました。

c0187004_11034497.jpg 大宮八幡宮は、京王・井の頭線「西永福駅」下車して徒歩で7分ほどの距離にあります

大宮八幡宮は、平安時代に、後三年の役で勝利した源頼義により創建され、御鎮座950年余りとなる大変由緒ある神社です。

東京都の天然記念物に指定されているうっそうとした森にかこまれた荘厳な神社です。

「乞巧奠」は、南参道脇の「清涼殿」の玄関飾られています。

c0187004_11041051.jpg「乞巧奠」は、京都の冷泉家では、現在まで、連綿としてお飾りされているようですが、関東では、大宮八幡宮だけだと思われます。

今日は7月7日で「七夕」ですが、7月15日まで飾られていますので、お近くの方は、ご覧になるとよろしいかと思います。

特に江戸検を受検される方は、一度見られることをお勧めします。

c0187004_11043916.jpg大宮八幡宮の「乞巧奠」は、平成10年に天皇在位10年をお祝いして飾られたそうで、ことしで17回目になります。

「乞巧奠」は、女性が、技芸の向上をお祈りするお祭りですので、和琴・琵琶・笙(しょう)・ひちり・竜笛など楽器類が飾られています。(右三段目写真)

楽器の腕前が向上するようにという願いが込められているわけですね。

c0187004_11051465.jpgそして、奥には五色(赤・青・黄・白・黒)の糸や紙そして筆・硯などがお飾りされています。その手前には、小豆・大豆・茄子・桃などの農産物もお飾りされています。(右四段目写真)

そして、周囲には、笹竹が立てられていて、そこには、人形(ひとかた)や梶の葉などが飾られています。

ところで、梶の葉という葉を御存知ですか?

江戸検1級を受けられる方は、最重要単語ですので、絶対覚えましょう。

c0187004_11054112.jpg「梶の葉」は、クワ科の植物です。織姫が「梶の葉姫」と呼ばれたことから、梶の葉に願い事を書いて笹竹につるすという風習が起こりました。

その梶の葉が、現在は短冊にかわっているのです。

「乞巧奠」の笹竹には、「梶の葉」が吊るされていました。しかも願い事が書かれています。

「梶の葉」は15センチもある大きな葉っぱですので、筆でも十分に文字を書くことができます。
 「梶の葉」の現物が見られただけでも十分満足です。



 最後に、守貞謾稿の七夕の項を参考に書いておきます。

七月七日

 今夜を七夕と云ふ(たなばたと訓ず。五節の一なり)孝謙天皇天平勝宝七年七月七日、始めて乞巧奠を設くる。

今世、大坂にては、(以下、大坂での様子が書かれているが、中略)


江戸にては、児ある家もなき屋も、貧富大小の差別なく、毎戸必ず青竹に短冊・色紙を付して、高く屋上に建つること、大坂の四月八日の花のごとし。

しかも種々の造りものを付するもあり。もつとも色紙・短尺は、ともに半紙のの染紙なり。

かくのごとく、江戸にてこのことの盛んなる、および雛祭の昌なるは、市中の婦女、多く大名に奉公せし者どもにて、とかくに大名奥の真似をなし、女に係る式は盛んなるなり。女式は昌なり。

作り物、昔は家々自造して興とす。今は、ほゝづき形、帳面の形、西瓜を切りたる形、筆形等、また机の引き出しより灸の出たる形など売る。しかれども、稀に自作して種々の形を付するもの、往々これあり。作り物、多くは竹骨を用ひ、紙を張る。梶葉、くゝり猿、瓢等は、紙にて切りたるのみ。

作り物は全形を模す。




by wheatbaku | 2015-07-07 11:07 | 江戸の祭礼歳事
七夕(江戸の祭礼と歳事)

 明日は、七月七日です。つまり「七夕」です。

 そこで、今日は、「七夕」について書こうと思います。
 本題の前に一言。

 今度の日曜日には、「江戸楽アカデミー」で「過去問題からみる『江戸博覧強記』勉強の実践的ポイント」の講師をすることになっています。

 今回の江戸楽アカデミーについては、このブログでも特にご案内しませんでした。
 それにもかかわらず、定員の2倍のお申込みがあったそうです。

 大勢の皆様にお申込みいただきありがとうございました。

 2倍のお申込みがあったことから、8月9日に追加講座を開講することにしてあります。

 このように大勢の方のお申し込みをいただいていることから、そのご期待を損ねないためには、しっかりした講義をしなくてはならないので、準備が大変です。

 そんなことで、1週間前に毎日文化センターで「江戸検講座」が終わったばかりですが、休む間もなく次の日曜日の講座の準備に追われています。

 そうした状況ですので、今週は、ブログのアップも思うようにいかないかもしれませんがご容赦ください。

 ところで、「七夕」です。

 東都歳事記には次のように書いてあります。

 七月七日

 〇七夕御祝儀 諸侯白帷子にて御礼 今夜貴賤供物をつらねて、二星に供し、詩歌をささぐ。家々冷索麺を饗す。
 
 そして、次の挿絵が載っています。タイトルは「武城 七夕」です。
 この挿絵には、三本の橋が架かっています。一番手前が常盤橋、中景が一石橋、右手遠景が呉服橋です。つまり、右手の街並みは日本橋方面ということになります。 

c0187004_09055330.jpg


 東都歳事記には、以上だけで、あまり詳しく書かれていません。

 そこで、「国史事典」を見てみると、こちらも簡単に次のように書いてあります。

中国の牽牛織女の伝説と乞巧奠の行事に日本の棚機女(たなばたつめ)に関する信仰が習合した。

 中国の「牽牛・織女」の伝説は、よく知られていて、ほかのHPにも書かれていますので、私のブログでは省略します。

 その一方で、「乞巧奠」という行事は耳慣れていません。

 これは「きこうでん」または「きっこうでん」と読みます。

これは、女性が裁縫が巧みになることを願うお祭りです。

「乞巧」とは「巧みになることを乞う」という意味ですし、「奠」とは祭という意味です。

こうした中国の習俗に対して、日本には「棚機女(たなばたつめ)」という信仰がありました。

これは、

川などの清らかな水辺にある機屋(はたや)にこもって神さまのために着物を織る女性をいいます。

こうした習俗がある中に、中国の牽牛織女と乞巧奠の習俗が伝来して、習合して、「七夕」という行事になりました。

ちなみに「七夕」という漢字ですが、現在は「たなばた」と読まれていますが、江戸時代の五節句の一つの「七夕」は「しちせき」または「しつせき」と呼ばれていました。

「たなばた」という読み方は「「棚機女(たなばたつめ)」からきているようです。









by wheatbaku | 2015-07-05 22:46 | 江戸の祭礼歳事
富士山開き(江戸の祭礼と歳事)

今日は新暦では7月1日です。

旧暦では、六月一日に行われていた富士山の山開きが、今日各地で行われます。

既に 富士参り(江戸の祭礼と歳事) で書いてありますが、守貞謾稿には次のように書いてあります。

五月晦日、六月朔日ノ両日 

 江戸浅草、駒込、高田、深川、目黒、四ツ谷、茅場町、下野小野照(以上八所、ともに江戸の地名也。ともに富士山を模造して、浅間の神を祭れり。平日は、此模山に登ることを聴(ゆる)さず。此両日のみ、詣人を登す。蓋、駒込を江戸の本所とす)等の富士詣でと号して、群参す。

守貞謾稿に載っている「浅草富士神社」「駒込富士神社」をはじめ、「小野照崎神社」でも、山開きが行われます。
  各神社については、次のHPをご参照ください。

「浅草富士神社」 「駒込富士神社」  「小野照崎神社」

富士山信仰については、江戸検のお題の参考図書「江戸の祭礼と歳事」にも書かれています。

今日は生憎の雨模様ですので、出かけにくいですが、この期間しか富士塚に登れない神社もありますので、雨の山開きも一興かもしれません。

c0187004_09050423.jpg昨日は、夏越の祓なので、そのことを御紹介しましたが、私は、熊谷に用事があったので、熊谷の高城神社にいってきました。

高城神社は、創建は不明ですが、平安時代の延喜式に名前が載っている大変古い神社です。

江戸時代には、忍藩主から阿部豊後神忠秋に厚く崇敬され、現在の社殿は、寛文11年(1671)に阿部神忠秋が建立したものだそうです。

高城神社の一の鳥居に茅の輪が作られていました。

高城神社では「胎内くぐり」と称していました。
 お参りしたのは、午後4時すぎでしたが、大勢の参拝客がお参りしていました。
 名越の祓は、夕方から夜に、神事が行われるところも多いようですので、夕方以降の参拝客も多いのでしょう。
 
c0187004_09113744.jpg 人形(ひとがた)の奉納も行われていました。
 掲示されていた説明文には次のように書かれていました。

 人形は、みなさんのかわりとなってお祓いを受けるためのものです。
 中央に名前と年齢を書いて、人形に息を吹きかけて、体をなでます。
 そして、お参りしましょう。
 と書いてあります。
 私も名前と年齢を書いて、御賽銭箱に納めてきました。









 


by wheatbaku | 2015-07-01 08:35 | 江戸の祭礼歳事
  

江戸や江戸検定についてに気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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