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『日本永代蔵』も頻出問題(江戸検お得情報6)

『日本永代蔵』も頻出問題(江戸検お得情報6

江戸検1級頻出問題について連載していますが、今日は、『日本永代蔵』について書いていきます。

『日本永代蔵』は、貞享5 (1688)に発刊された6巻もので各巻5話計 30話の短編小説で、知恵と才覚と倹約によって富を得た商人のほか、放蕩や驕りによって富を失う商人たちが描かれている井原西鶴の名作です。

この『日本永代蔵』から、江戸検1級に3回出題されています。

第5回では、井原西鶴が『日本永代蔵』に書いている商人のあるべき姿、第6回では、三井越後屋が出題され、第7回では、酒田の鐙屋が出題されています。

これまで、第5回、第6回、第7回と連続して出題されていますが、その後、出題されていません。

 最後の出題から時間が経っているので、「もうそろそろ出題されるかな」と考えるか、また「8回以降出題されていないので、もう出題はされないだろう」と考えるかは、受検される皆様の判断ですが、私は一度は『日本永代蔵』を読んでおいたほうがよいと思います。特に、「今年こそ合格したいと思っている人」は読んだほうがよいのではないでしょうか。

 現代語訳の『日本永代蔵』は、角川ソフィア文庫、講談社学術文庫、小学館ライブラリーかそれぞれ出版されています。また、原文で読む場合には岩波文庫が良いと思います。

 私が読んだのは、小学館ライブラリーの『日本永代蔵』です。

 『日本永代蔵』は、もともとは6巻で各巻5話計30話の短編小説ですので、文庫でも200ページほどの分量です。現代語訳した暉峻康隆(てるおかやすたか)は井原西鶴県境の第一人者で、わかりやすい現代語訳でした。

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1級問題として出題された問題の詳細です。

5回【78】「人は十三才迄は、わきまへなく、それより廿四五(にじゅうしご)まては、親のさしつをうけ、其後は我と世をかせぎ、四十五迄に、一生の家をかため、・・・・」

これは、井原西鶴の『日本永代蔵』にある、商人のあるべき姿を述べた一節です。若いうちはおおいに仕事をして家を成せとしていますが、その後は隠居してどうせよとしているでしよう?

)老練な技術をもってさらに稼ぎなさい

)蓄財を幕府へ納め、天下のために使いなさい

)跡継ぎをたくさん育て、家の繁栄を図りなさい

)若隠居して、稼いだ金を使って遊びつくしなさい

正解は、 に)若隠居して、稼いだ金を使って遊びつくしなさい  

『日本永代蔵』では、巻四の一「祈るしるしの神の折敷(おしき)」の最終部分に書かれています。

6回【50】江戸時代に大成功した商人のなかで、勤労精神を基本とし、始末と才覚を売りとして堅実に生き、元禄期( 1688 ~ 1704 )の経済変動を乗り切った商人がいました。井原西鶴もその著『日本永代蔵』のなかで、「大商人の手本なるべし」と絶賛した、その商人とは誰でしよう。

)紀伊国屋文左衛門   ろ)鴻池善右衛門

)奈良屋茂左衛門  に)三井高利

正解は、 に)三井高利

『日本永代蔵』では、越後屋三井高利については、巻一の四「昔は掛算今は当座銀」で取り上げられています。

7回【45】江戸時代、最上川舟運、西廻り航路の拠点として栄えた山形県酒田市に、現存公開されている商家「鐙屋(あぶみや)があります。この「鐙屋」は、ある有名な江戸文学のなかで、1項目を立ててその繁栄ぶりを紹介されています。その作品とは何でしよう?

)「日本永代蔵』  ろ)『諸国百物語』

)『世間胸算用』  に)『北越雪譜』

正解は、 い)「日本永代蔵』
『日本永代蔵』では、「鐙屋(あぶみや)」は巻二の五「舟人馬方鐙屋の庭」に書かれています。




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by wheatbaku | 2020-04-02 16:02 | 江戸検お得情報
「徳川宗春」も頻出問題(江戸検お得情報5)

「徳川宗春」も頻出問題(江戸検お得情報5

 江戸検1級頻出問題を連載していますが、今日は「徳川宗春」について書いていきます。

 徳川宗春は、尾張藩第7代藩主です享保15年(1730)、兄の6代藩主継友の急死によって尾張藩主となりました。時あたかも8代将軍徳川吉宗が推進していた享保の改革の真っ只中のことです。徳川宗春は、この吉宗の方針に真っ向から対立する商業の自由放任・風俗の開放政策をとったことで有名です。

 しかし、徳川吉宗に比べると徳川宗春はマイナーであることは否めません。その徳川宗春が、江戸検1級では、過去4回出題されています。

 第4回では、時の将軍を批判した文章の作者名、第8回では、隠居謹慎させられた宗春のその後、第10回では、宗春の政治理念を示す2つの文字について出題されていて、第12回は、第4回と同じ問題が再出題されています。

 このように4回も出題されていると何らかの対策を講じておいたほうがよいと思います。

 そこで、問題の典拠を探して徳川宗春について書いてある本を見てみました。

 徳川宗春について書いた本がいくつかありますが、その中で、「規制緩和に挑んだ『名君』―徳川宗春の生涯」(大石学編 小学館刊)を読むと、1級問題に出題された問題はすべて正解がわかります。(何ページに書いてあるかは後記を参照してください)

 そのため、1級合格をめざす人は、「規制緩和に挑んだ『名君』―徳川宗春の生涯 」(大石学編 小学館刊)を読んでおくと良いと思います。

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最後に、問題の詳細と正解を書いておきます。



 4回【62「我好ことは人にもこのませ、我きらひなる事は人にも嫌はせ候ゃうに仕なすは、甚(はなはだ)狭き事にて、人の上たる者べっしてあるまじき事也」

これは、ある人物が時の将軍に対して述べたものです。誰が誰に述べたものでしよう?

)会津藩主保科正之が、5代将軍綱吉を諫めたもの

)新井白石が、6代将軍家宣に建言したもの

)尾張藩主徳川宗春が、8代将軍吉宗の政治を批判したもの

)大御所吉宗が、9代将軍家重に言いおいたもの

正解は、は)尾張藩主徳川宗春が、8代将軍吉宗の政治を批判したもの

「規制緩和に挑んだ『名君』―徳川宗春の生涯」のP129に書いてあります。ただし、この本では、原文ではなく現代語訳されています。

8回【77】尾張藩7代藩主徳川宗春は、享保の改革を真っ向から批判し、8代将軍吉宗によって隠居謹慎させられます。では、宗春のその後のことについて、正しい記述はどれでしよう?

)宗春にかわって、吉宗の息子が尾張藩主になった

)宗春は隠居後、江戸の下屋敷に死ぬまで幽閉された

)初めて外出が許されたのは、実母の葬儀のときである

)宗春の墓石には、死後75年間にわたり金網がかけられた

正解は、に)宗春の墓石には、死後75年間にわたり金網がかけられた です。

「規制緩和に挑んだ『名君』―徳川宗春の生涯 」では、P184から190の「晩年の宗春」の中に書いてあります。

10回【737代尾張藩主徳川宗春は、統制に重きをおく享保の改革に異をとなえた人物として知られています。では、宗春の政治理念を示す2つの文字は、次のうちどれでしよう? 藩主としての心の戒めとしたもので、施政方針を示した著書『温知政要(おんちせいよう)の巻頭と巻末にも、大きく書かれています。

)慈・忍  ろ)仁・義  は)忠・孝 に)法・理

正解は、)慈・忍   です。

「規制緩和に挑んだ『名君』―徳川宗春の生涯」の口絵に『温知政要』の巻頭と巻末の写真が掲載されています。

12回【76】「我好ことは人にもこのませ、我きらひなる事は人にも嫌わせそ候うらうゃうに仕なすは、甚(はなはだ)狭き事にて、人の上たる者べっしてあるまじき事也」

これは、ある人物が時の将軍に対して述べた文章です。誰が誰に対して述べたものでしよう?

)会津藩主保科正之が、5代綱吉を諫めたもの

)新井白石が、6代家宣に建言したもの

)尾張藩主徳川宗春が、8代吉宗の政治を批判したもの

)大御所吉宗が、9代家重に言い置いたもの

これは、第4回【62】の問題と同じ問題です。




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by wheatbaku | 2020-03-30 13:40 | 江戸検お得情報
『シュリーマン旅行記』も頻出問題(江戸検お得情報4)

『シュリーマン旅行記』も頻出問題(江戸検お得情報4

 今日の江戸検お得情報は『シュリーマン旅行記』について書いていきます。

 この旅行記を書いたシュリーマンはドイツの考古学者で、トロイアの遺跡を発見したことで有名ですが、このことを高校の世界史で学んだ人もいると思います。

シュリーマンは、ドイツの貧しい牧師の家に生まれ、刻苦奮励して大商人として財をなしましたが、41歳で商売をやめ、43才になった1865年に世界旅行に出かけ、インド洋から香港に入り、上海、北京を訪れた後、日本にやってきました。日本には、慶応元年6月1日から7月4日まで約1か月間滞在し、横浜・江戸のほか八王子も訪ねています。

旅行の後、パリでこの旅行の紀行文「シナと日本」を出版しました。この旅行記が日本語に翻訳されています。それが『シュリーマン旅行記 清国・日本』(講談社学術文庫)です。(下写真)

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 江戸検1級の問題として、この『シュリーマン旅行記 清国・日本』から過去に4問出題されています。すなわち、第5回の男女混浴、第6回の浅草の大道芸、第8回の王子で食べたアスパラガスによく似た食べ物、第14回の東海道を進むある人物の行列の4問です。(問題の詳細は、後段に書いておきます。)

『シュリーマン旅行記 清国・日本』は、第1章から第3章までが中国に関して書かれていて、第4章江戸上陸、第5章八王子、第6章江戸、第7章日本文明論となっていて、第8章太平洋で完結しています。

半分以上が日本について割かれていますが、この中には、幕末の日本の様子が生き生きと、そして非常に好意的に描かれています。
 あの有名なシュリーマンが日本を訪れていたことに驚きましたが、さらに幕末の日本を好意的に取られていることにも感激しました。

『シュリーマン旅行記 清国・日本』から、1級問題としてしばしば出題されていますので、今年ぜひ合格したいと願っている人は、この『シュリーマン旅行記 清国・日本』も読んでおいたほうがよいと思います。

また、幕末の日本がわかる興味深い本ですので、江戸検対策としでなく、幕末の江戸を知りたいという人も読んでみるといいと思います。

 最後に『シュリーマン旅行記 清国・日本』から出題された江戸検1級の問題を書いておきます。なお、正解と『シュリーマン旅行記 清国・日本』の該当ページも付記しておきます。

5回 【90】私は、幕末の江戸を訪れて江戸の習俗について多くを書き記し、とりわけ湯屋での男女混浴について「何と清らかな素朴さだろう」と述べるなど、異文化に対する深い理解を示しました。さて、のちに考古学上の大発見をした、私は誰でしよう?

) アーサー・ジョン・エノヾン-

)工ドワード・シルベスター・モース

) トーマス・エドワード・ローレンス

)ハインリッヒ・シュリーマン

正解 に)ハインリッヒ・シュリーマン

男女混浴については、『シュリーマン旅行記 清国・日本』(講談社学術文庫)では88ページに書いてあります。

6回【68】トロイの発掘で知られるシュリーマンは、1865年に日本を訪れています。浅草でさまざまな見世物を見てまわった彼は、ある見世物に感嘆し、欧米で興行すれば称賛の嵐を巻き起こすだろうと記しました。それはどんな芸でしよう?

)居合抜き  ろ)軽業   )独楽回し    )手妻

正解 は)独楽回し 

『シュリーマン旅行記 清国・日本』(講談社学術文庫)では141142ページに書いてあります。

8回【37】トロイの発掘で知られるシュリーマンは、慶応元年( 1865 )に日本を訪問しました。江戸近郊の王子を訪ねた彼は、有名な茶屋で日本料理を食べたことを記しています。そのなかで、「アスパラガスに似ている」と書いている食べ物は、何でしよう?

)独活(うど)    )(たけのこ)

)土筆(つくし)   )(ふき)

正解 ろ)(たけのこ)

『シュリーマン旅行記 清国・日本』(講談社学術文庫)では151ページに書いてあります。

14回【90】慶応元年、のちにトロイア遺跡の発見者となる考古学者シュリーマンが来日しました。到着早々シュリーマンは東海道を進むある人物の行列を目撃し、「堂々とした美しい顔は少し浅黒い」とその容貌を旅行記に記録しています。その人物とは誰でしよう?

)生麦事件直前、品川宿を通過する「島津久光」

)長州再征のため上洛する途中の「14代将軍徳川家茂」

)江戸に向けて進軍する「東征大総督・有栖川宮熾仁親王」

)京都で逮捕され、江戸に護送される途中の「大盗賊日本左衛門」

正解 ろ)長州再征のため上洛する途中の「14代将軍徳川家茂」 

『シュリーマン旅行記 清国・日本』(講談社学術文庫)では98ページに書いてあります。




by wheatbaku | 2020-03-26 14:40 | 江戸検お得情報
「解体新書」も1級頻出問題(江戸検お得情報3)

「解体新書」も1級頻出問題(江戸検お得情報3

 今日も、「江戸検お得情報」について書いていきます。

 1級問題の過去問を丁寧に解いていく、繰り返し出題されている問題があることに気がつきます。今日も、そうした問題について書いてみます。

 第14回の1級問題に次のような問題が出題されました。

79】《誠に艫舵(ろかじ)なき船の大海に乗り出せしが如く、茫洋(ぼうよう)として寄るべきかたなく、ただあきれにあきれて居たるまでなり》

この文章は、ある事業に取り組んだ当事者たちが、前途の多難さに困惑した様子を回想したものです。完成までに4年を要した、その事業とはどれでしよう?

)『解体新書』の翻訳出版  ろ)『大日本史』の編纂

)玉川上水の開削      に)麻酔薬「通仙散」の開発

 この問題の正解は、い)『解体新書』の翻訳出版 です。

解体新書は、ドイツ人クルムスの「解剖図譜」をオランダ語訳した「ターヘル‐アナトミア」を前野良沢や杉田玄白たちが翻訳したものです。

その翻訳作業の中心人物の一人杉田玄白は、『蘭学事始』を書いて、「解体新書」を翻訳し出版した苦心談を中心に蘭学草創期の状況を回想しています。

上記の問題の冒頭の文章はこの『蘭学事始』の中の文章です。

1級の過去問を解いていくと、次のように「解体新書」や杉田玄白に関する出題問題が多いことに気がつきます。

3回では、杉田玄白が墓碑銘を書いた人物の名前が出題されています。

6回では、杉田玄白の弟子の名前が出題されています。

10回では、杉田玄白の弟子の大槻玄沢が中心となって翻訳した書物名、そして杉田玄白がその著書『形影夜話(けいえいやわ)』の中で解説した病気の名前が出題されています。

そして、第13回は、「解体新書」がうまれるきっかけとなった腑分けが行われて場所が出題されています。

それぞれの問題の詳細は下段に書いておきましたので確認してください。

こうしてみてみると「解体新書」と杉田玄白は要注意ということになります。

今年是非とも1級に合格したいと思っている人は、「解体新書」と杉田玄白も勉強しておいたほうがよいように思います。

お近くの図書館で「杉田玄白」で検索すると多くの関係書物がヒットすると思いますので、ご自分の好きな本を読んでみてください。

私が読んだのは講談社学術文庫の「蘭学事始」(全訳注片桐一男)です。まず現代語訳が書いてあり、ついで原文が記載されていて原文も読むことができます。第14回の問題の冒頭の文章は109ページに載っています。さらに詳細な解説も書いてあります。片桐一男先生は青山学院大学名誉教授で杉田玄白関係の著書を数多く手がけている日蘭関係史の第一人者です。

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また、時代小説が好きな人には、新潮文庫「冬の鷹」(吉村昭著)がお勧めです。

この小説の主人公は杉田玄白ではなく翻訳作業の中心人物として苦労した前野良沢です。

杉田玄白が「解体新書」翻訳成功で脚光をあびる一方、地道に翻訳の道を突き進む孤高の人物前野良沢の苦心や晩年の生活が描かれていますが、その中で、「解体新書」翻訳作業の苦心がよく描かれています。

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「解体新書」出版までの概略を手軽に理解するには「風雲児たち~蘭学革命篇~」が良いと思います。コミックですので手軽に読めます。2018年元旦にNHKで放映された正月時代劇の原作本です。

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以上、いくつか「解体新書」や杉田玄白に関する本を紹介しましたが、ご自分でよいと思う本を探して読んでみてください。うまくすれば、これで1点得するかもしれませんので・・・



最後に、「解体新書」と杉田玄白に関係する1級問題を書いておきます。超難問でありませんので正解はご自分で見つけてください。

3回【100】「ああ、非常の人、非常のことを好み、行いはこれ非常、何ぞ非常に死するや」これは、杉田玄白が書いたある人物の墓碑銘の文章です。では、玄白の友人の本草学者で、火浣布やタルモメイトルを制作し、浄瑠璃作家としては福内鬼外(ふくちきがい)などのペンネームでも知られるこの人物は誰でしよう?名前を漢字4文字で書いてください。

6回【80】私は、杉田玄白の弟子です。江戸に私塾の芝蘭堂を開き、『蘭学階梯』「環海異聞(かんかいいぶん)』などの著作を残しました。さて、私は誰でしよう?

)稲村三伯  ろ)宇田川玄随 
 は)大槻玄沢  に)前野良沢

10回【84杉田玄白の弟子のなかでも、大槻玄沢はオランダ語を得意とし、もっとも翻訳事業を発展させました。では、玄沢が中心となり日本で初めてオランダ語から翻訳した百科事典は、次のうちどれでしよう?

)「厚生新編』   )『ハルマ和解』

)『蘭学階梯』  )『暦象新書』

10回【37】初代将軍家康の次男・結城秀康(ゆうきひでやす)は、感染性の病気で命を落としたとされます。江戸時代に大流行したその病気について、杉田玄白は著書『形影夜話(けいえいやわ)』のなかで「毎年1000人あまり治療するが、そのうち700800人はこの患者である」と述べています。その病気はどれでしよう?

)脚気     )梅毒   )麻疹    )労咳

13回【27】明和8( 1771 )、前野良沢は、杉田玄白・中川淳庵らと死刑囚の腑分け(解剖)に立ち会い、オランダ語の解剖書『ターヘル・アナトミア』の正確な人体図に感嘆し、翻訳を決意しました。『解体新書」が生まれるきっかけとなったこの腑分けは、どこで行なわれたでしよう?
 い)神田佐久間町医学館   ろ)小伝馬町牢屋敷

)品川鈴ヶ森刑場     に)千住小塚原刑場





by wheatbaku | 2020-03-23 11:38 | 江戸検お得情報
「東海道中膝栗毛」も頻出問題(江戸検お得情報2)

「東海道中膝栗毛」も頻出問題(江戸検お得情報2

 歌川広重の「東海道五十三次」が江戸検1級問題の頻出問題であると前回書きました。

 こうした傾向は、1級の過去問を何回もやっているとわかってきます。

 ですから今年合格したいと思っている人は、過去問に何回も挑戦してご自分で傾向をつかんで対策を講じることも大切だと思います。

 過去問を繰り返し取り組んでくると歌川広重の「東海道五十三次」のほか、「東海道中膝栗毛」に関係する問題もしばしば出題されていることがわかります。

 第2回では弥次さん喜多さんの間柄、第3回では弥次さん喜多さんが最初に泊まった宿場名、第4回では十返舎一九の辞世の句、第7回は戸塚に関係する狂歌、第14回では弥次さん喜多さんが2日目に泊まった宿場名が出題されています。(過去に出題された問題がどんな問題であったかを下記に書いておきます。)

 これだけ出題されている「東海道中膝栗毛」は『江戸博覧強記』では触れられていません。こうしてみると今年是非とも合格したいと思う人は「東海道中膝栗毛」も読んでおいた方がよいということになります。

 「東海道中膝栗毛」は、子供たちも読んでおくべき日本の古典に数えられるほどの名作ですので、子供向けに現代語訳されたものも多く出版されています。
 基本的には、江戸検を受検する人がお好みにあわせて選べばよいと思いますが、私は、現代語訳されたものの多くは、物語としてはおもしろいですが、原作のすべてを現代語訳しているわけではないので、原作に忠実とはいえないものが多いように思います。そのため、江戸検対策として役立つかどうか多少不安が残ります。

 そうした中で、私が良いと思うものは、『現代語訳東海道中膝栗毛(岩波現代文庫)』です。(上)(下)2冊に分かれています。こちらは、原作に忠実に現代語訳しています。

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 なお、原作そのままがいいという人は、「東海道中膝栗毛」(岩波文庫)や小学館の「新編日本古典文学全集 (81) 東海道中膝栗毛」などが良いと思います。

過去に出題された問題は下記の通りです。正解は、本やインターネットなどで調べると比較的容易にわかりますので、ご自分で調べてください。

2回【77】弥次さんと喜多さんの珍道中をおもしろおかしく描いた名作『東海道中膝栗毛」は、江戸時代を代表する文芸作品です。この滑稽話は、2人が駿府の町で知り合い、やがて出奔するところから始まっています。では、作者である十返舎一九は、このときの2人の間柄をどのように設定しているでしよう?

 い)恋敵  ろ)幼馴染  は)衆道   )博奕仲間

3回【66】『東海道中膝栗毛』で、江戸を出た弥次郎兵衛・喜多八が最初に泊まった宿場は、次のうちどこでしよう? 慶長9( 1604 )に新設された宿場で、天保14 ( 1843 )の調査では75軒の旅籠がありました。

)川崎   )戸塚   )平塚   )小田原

4回【78】『東海道中膝栗毛』の作者十返舎一九の辞世の句は、ユーモアに富んだものとして知られています。それは、次のうちどれでしよう?

)南無さらば妙法蓮華経かぎり

)善もせず悪も作らず死ぬる身は地蔵笑はず閻魔叱らず

)此世をばどりやお暇(いとま)に線香の煙と共にはい左様(さよう)なら

)今までは人のことだと思ひしにおれが死ぬとはこれはたまらん

7回【26】《お泊りは よい程谷と とめ女(  )前ては はなさざりけり》

これは、「東海道中膝栗毛』にある狂歌です。(  )には、東海道の宿場の名前が入りますが、それはどこでしよう?

 い)大磯    )小田原    )戸塚  に)三島

14回【74】『東海道中膝栗毛』で、江戸を出た弥次郎兵衛と喜多八が最初に泊まったのは、日本橋から10里余りの距離にある戸塚宿です。その次に泊まったのが、戸塚から10里余りにある宿場です。さて、それはどこでしよう?

 い)大磯宿   )小田原宿    )箱根宿    )平塚宿


※※最後に、前回の広重「東海道五十三次」に関する問題の正解を書いておきます。

4回第8問  に)  18問 は)

8回第82問  は)

9回第69問  に)

11回第12問 に)  第84問 は)

13回第78問 に)




by wheatbaku | 2020-03-19 11:25 | 江戸検お得情報
広重「東海道五十三次」は1級頻出問題(江戸検お得情報1)

広重「東海道五十三次」は1級頻出問題(江戸検お得情報1)  

新型コロナウイルスの感染の拡大で各方面に大きな影響が出ています。私も自宅近くに生活必需品の買い物に出かける程度にして外出を極力控えています。読者の皆様も十分お気をつけください。

 私は「新江戸百景めぐり」(小学館刊)に紹介されている百景はすべて訪ねていますが、数年前に訪ねたところもあり、このブログでは、改めて訪問したうえで、6月から今まで、新江戸百景めぐりを書いてきました。しかし、新型コロナウイルスの影響で、外出を控えているため、新江戸百景めぐりの再訪問ができません。従って、新江戸百景めぐりの記事はしばらく中断させていただきます。

 このブログは、史跡を訪ねて、それを紹介するという記事が多いのですが、今の情勢では、それが無理ですので、これからは、本の情報を中心として、江戸検1級を受検する人たちに役立つ情報を書いていこうと思います。

 江戸検は、今年15回を迎えますが、今年で終了することとなり、1級合格をめざす人にとって最後のチャンスとなります。そこで、3月から江戸楽アカデミーの「合格虎の巻」講座で、しっかりサポートしようと思っていましたが、こちらも中止となり、振替授業を行うことになってしまいました。

 そのため、1級合格をめざす人たちはやきもきしているかもしれません。

 そうした1級合格をめざす人たちのためにお得となる情報を、これから「江戸検お得情報」としてシリーズ的に提供していきたいと思います。

 

 江戸検1級は、基本的にテキストである『江戸博覧強記』から出題されていますが、それ以外からも出題されています。

 その『江戸博覧強記』以外から出題されている問題の中で、繰り返し出題されている事項があります。

 その中の一つが歌川広重「東海道五十三次」です。

 過去の問題を調べてみると次のように出題されています。

 第4回「岡部」「関」第8回「藤川」、第9回「阪之下」、第11回「白須賀」「関」、第13回「四日市」

 過去14回で7問出題されたことになります。そこで、歌川広重「東海道五十三次」を知っておけば「お得」になると思われます。 従って、今年ぜひ合格したいと思う人は、歌川広重の「東海道五十三次」も勉強しておいたほうがよいと思います。
 出題される場合は、広重が描いた絵が出題されると思いますので、東海道の53の宿場と日本橋と京都三条大橋を描いた55枚の絵がどんな絵か覚えておくとよいと思います。(3月18日修正追加)


 さて、今日は、広重「東海道五十三次」からどんな問題がでているか確認してみたいと思います。
 なお、今日は問題だけ書いておきますので、ご自分で試しに解いてみてください。正解は、次回に発表します。

まず、第4回の「岡部」「関」から書いてみます。

8】下の4枚の絵は、東海道と中山道の風景を歌川広重が描いたもので、「木曾海道六十九次」シリーズの絵が3枚と「東海道五十三次」シリーズの絵が1枚です。さて、「東海道五十三次」のものはどれでしよう?
   

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 い)              ろ)

広重「東海道五十三次」は1級頻出問題(江戸検お得情報1)_c0187004_14493249.jpg
             は)                に)


18】大名は、宿場では本陣に宿泊しました。では、下の絵の画面右手前に描かれているように、大名が宿泊している本陣の前に立てられたものを、何と呼んだでしよう?

  い) 印立(しるしだて)    ろ) 陣札(じんふだ)  

   は) 関札(せきふだ)      に)藩立(はんだて)

広重「東海道五十三次」は1級頻出問題(江戸検お得情報1)_c0187004_14513945.jpg

第8回「藤川」は次のような問題です。

82】右の絵は、歌川広重画『東海道五十三次』のうちの「藤川(ふじかわ)」です。この絵に描かれている棒杭は、宿場の内と外の境界を示す目印ですが、何と呼んだでしよう?その名は、この絵の副題にもなっています。

 い) 境(さかいぼう)  ろ) 端棒(はなぼう)

  は) 棒鼻(ぼうはな)   に)棒引(ぼうびき)

広重「東海道五十三次」は1級頻出問題(江戸検お得情報1)_c0187004_14520215.jpg

9回「阪之下」は次のような問題です。なお、この問題では文章だけで絵は出題されていません。

69】歌川広重『東海道五十三次』の「阪之下(さかのした)」には、「筆捨嶺(ふですてみね)」の副題が付けられています。この副題は、どのようなエピソードに由来するでしよう?

  い)弘法大師が選ばなかった筆を、この山の麓に埋めた

  ろ)松尾芭蕉がこの山を通ったときに、筆を落としていった

  は)曲亭馬琴が使い古した筆をここに捨て、それが山のようになった

  に)絵師の狩野元信がこの山を描こうとしたが、断念して筆を捨てた

第11回「白須賀」「関」は次のような問題です。

12下の絵は東海道随一の景観と賞された潮見坂からの眺望を描いた、歌川広重「東海道五十三次』の1枚です。では、宝永4( 1707 )に発生した宝永地震による津波被害のため、潮見坂下から坂上の現在地へ移転した東海道の宿場はどこでしよう?

 い) 吉原  ろ)興津  は)舞坂  に)白須賀(しらすか)

広重「東海道五十三次」は1級頻出問題(江戸検お得情報1)_c0187004_14523012.jpg

84】参勤交代の際、大名は宿場では本陣に宿泊しました。では、下の絵の画面右に描かれているように、大名の宿泊中に本陣の前に掲げられた大名の名などを記した立札を、何と呼んだでしよう?

   い) 印立(しるしだて)    ろ) 陣札(じんふだ)  

   は) 関札(せきふだ)      に)藩立(はんだて)

広重「東海道五十三次」は1級頻出問題(江戸検お得情報1)_c0187004_14513945.jpg

第13回「四日市」は次のような問題です。

78】次の4枚の絵は、東海道と中山道の風景を歌川広重が描いたもので、『木曽海道六十九次』シリーズの絵が3枚と『東海道五十三次』シリーズの絵が1枚です。さて、『東海道五十三次」のものはどれでしよう?      

広重「東海道五十三次」は1級頻出問題(江戸検お得情報1)_c0187004_14533396.jpg
         い)           ろ)
広重「東海道五十三次」は1級頻出問題(江戸検お得情報1)_c0187004_14554395.jpg
         は)            に)


以上、見ていただいて、繰り返し歌川広重「東海道五十三次」が出題されていることがご理解いただけたと思います。
 これだけ出題されているので、今年はぜひとも1級に合格したいと思う人は何らかの対策を講じたほうがよいと思います。










by wheatbaku | 2020-03-16 14:42 | 江戸検お得情報
江戸検お題問題解説その4(新江戸百景めぐり番外④)

江戸検お題問題解説その4(新江戸百景めぐり番外④)

江戸検お題問題解説その4は、16問から20問まで解説します。

これまでの問題は、すべてお題テキスト『新江戸百景めぐり』(小学館刊)(以下お題テキストといいます。)から正解がわかる問題でしたが、今日解説する18問だけはお題テキストを読んだだけではわかりませんので、苦労された方も多いだろうと思います。

16】次にあげるのは、徳川将軍家ゆかりの寺とその説明です。正しいものはどれでしょう?

 い)寛永寺には、秀忠ら6人の将軍が葬られている

 ろ)護国寺には、家光が寄進した惣門が現存している

 は)伝通院には。家康の生母・於大の方の墓所がある

 に)鵬祥院は、秀忠の娘・千姫の発願で創建された

これらは、すべて、お題テキストに関連することが書かれています。

い)お題テキストの96ページは寛永寺についてですが、寛永寺には6人の将軍が埋葬されていますが、秀忠は増上寺に埋葬されていますので、これは間違いです。

 ろ)お題テキストの95ページは護国寺について書いてあります。 この中で、護国寺の惣門は、綱吉と母桂昌院の御成りのためにつくられた門だと書かれています。従って、ろ)は間違っています。

は)お題テキストの94ページに伝通院について書いてあり、問題文は正しいので、これが正解です。

に)お題テキストの94ページに麟祥院について書いてありますが、麟祥院は春日局が創建したお寺ですので、これも間違いです。

 

17】徳川家の祈願所だった穴八幡宮で行なわれる行事で、8代将軍吉宗が世嗣の疱瘡平癒祈願のために奉納したことに始まるものは何でしょう? 現在は、近くの戸山公園に場所を移して行なわれています。

 い)獅子舞    ろ)薪能  
 は)梯子乗り   に)流鏑馬

 これもお題テキストの90ページに書かれています。に)の流鏑馬が正解です。

18】池上本門寺は日蓮聖人終鷲の地に建てられた日蓮宗の名刹です。江戸時代には、庶民の信仰を集めるとともに、幕府や諸大名の寄進も多く、格式を誇りました。元禄期(16881704)の建立と伝えられる総門の扁報は、著名な文化人の筆跡ですが、それは誰でしょう?

 い)狩野探幽   ろ)松花堂昭乗 
 は)本阿弥光悦  に)三井親和

 この問題は、お題テキストを読んでいただけでは正解が分らないので難しかっただろうと思います。

 この正解は、は)の本阿弥光悦です。

 池上本門寺の公式ホームページに書かれていますし、扁額の写真も載っていますので、ホームページで確認してください。

 下写真が、現在の本門寺の惣門ですが、本阿弥光悦の扁額は、霊宝殿に所蔵されていて、惣門に掲げられているものは複製です。

江戸検お題問題解説その4(新江戸百景めぐり番外④)_c0187004_13184705.jpg

 このことを知らなくて、どう正解を導くかですが、そのヒントを書いておきます。

 まず、い)狩野探幽 は、絵師ですので、これはないだろうということになります。次いで、に)三井親和は、元禄年間に生まれ、江戸時代中期に活躍した人ですので、この人もないだろうということになります。ここまでは、『江戸博覧強記』に書いてあるレベルの知識でわかると思います。

 そこで、残るのは二つです。松花堂昭乗も本阿弥光悦も寛永の三筆の一人で、この二人が候補となります。

そこで、どちらかということになりますが、これからは、松花堂昭乗と本阿弥光悦に関する知識がどれだけあるかによります。

松花堂昭乗は、男山石清水八幡宮の社僧であったことや真言密教を修業したことを知っていれば、この人が日蓮宗の本門寺の額を書くことはないだろうという推測がたちます。

また、本阿弥光悦が熱心な日蓮宗信者であったことを知っていれば正解はわかります。また、そこまで知らなくても日蓮宗が京都の町衆の多くに信仰されたことを知っていれば、本阿弥光悦は日蓮宗の信者だろうという推測がたち、そこから、正解を導き出すこともできます。

いずれにしても、お題テキストに書かれていること以外の知識が必要ですので、難しい問題だったと思います。

       

【19】下の4枚の絵は、いずれも「江戸名所図会」のものです。では、神田明神の祭礼を描いたものはどれでしょう?

江戸検お題問題解説その4(新江戸百景めぐり番外④)_c0187004_13185403.jpg

 これらの絵はすべてお題テキストに掲載されている絵です。
 従って、丹念にお題テキストをよく読んでおけば、正解がわかる問題です。

い)は、お題テキスト115ページの神田明神の中に載っています。従って、これが正解です。

ろ)は、お題テキスト132ページの日枝神社の中、は)は、お題テキスト136ページの芝神明宮の中に載っています。 に)は、お題テキスト141ページの品川宿の中に載っている「品川牛頭天王神輿洗の図」です。

 また、神田祭が、江戸時代には9月15日に行われていたことを知っていれば、い)の挿絵の右上に9月15日と書いてあるので、それから、い)が正解だとわかります。

20】品川宿一帯には、多くの寺社がありました。では、次の寺社についての説明で、間違っているものはどれでしょう?

 い)海晏寺一紅葉の名所として知られた

 ろ)品川神社一境内の鯨塚が有名だった

 は)品川寺一江戸六地蔵の第1番だった

 に)寄木神社一伊豆長八の鏝絵が現存する

 これらの選択肢は、すべてお題テキストの140ページ~141ページに載っています。ここを読んでいれば、正解は簡単に分かったと思います。

 鯨塚があるのは、品川神社ではなく利田(かがだ)神社ですので ろ)が間違っています。

以上で、江戸文化歴史検定の「今年のお題」関連の問題についての解説を終わりにしますが、お題テキストを読み込んでいれば、正解がわかる問題が大半であったということがお分かりいただけたことと思います。


by wheatbaku | 2019-11-05 13:08 | 新江戸百景めぐり
江戸検お題問題解説その3(新江戸百景めぐり番外③)

江戸検お題問題解説その3(新江戸百景めぐり番外③)

江戸検お題問題解説その3は、11問から15問まで解説します。これらの問題は、お題テキスト『新江戸百景めぐり』(小学館刊)(以下お題テキストといいます。)から正解がわかります。


11】江戸に入った徳川家康が隅田川に初めて架けた橋が、千住大橋です。この橋の杭には、伊達政宗が寄進した水に強く腐食しにくい材木が用いられ、明治時代まで長持ちしたといいます。その橋杭に使われた木は何でしょう?

 い)榎   ろ)黒松  は)高野槙   に)檜

 お題テキストの62ページに、千住大橋の橋杭には高野槇が用いられたと書いてありますので、正解は 4) です。

 千住大橋には現在も3本の高野槇が残されているとのことで、隅田川の水位が下がる時には姿を現すと千住大橋に設置されている説明板(下写真)に書いてあります。

江戸検お題問題解説その3(新江戸百景めぐり番外③)_c0187004_17412067.jpg

説明板のタイトルは「水面に浮かぶ三個のブイの謎」と書かれていて。丁寧に説明されています。

下写真のブイがある場所が高野槇がある場所だそうです。

江戸検お題問題解説その3(新江戸百景めぐり番外③)_c0187004_17412638.jpg

 また、京成線千住大橋駅の駅前には、高野槇が植えられています。(下写真)

江戸検お題問題解説その3(新江戸百景めぐり番外③)_c0187004_17413153.jpg

12】家康が開削させた小名木川は、旧中川と隅田川を東西に結ぶ運河です。その後、本所・深川では、小名木川と直行する運河も整備され、大きく発展していきます。では次のうち、小名木川と直交するのはどれでしょう?

 い)大横川  ろ)仙台堀川  は)竪川  に)平川

お題テキストの55ページに「南北方向の横十間川および大横川と直交している」と書いてあります。
 従って、正解は い) です。

 念のため、お題テキストの20~21ページに載っている深川の地図を見ておいてください。大横川と横十間川が南北に流れて小名木川と直交し、仙台掘川が小名木川と並行して東西に流れていることがわかると思います。

13】江戸の橋は、陸路と海路の結節点であり、人が集まる名所にもなっていました。では、『江戸名所図会』に〈此所は諸国への廻船輻輳の要津たる故に橋上至て高し〉と記されている橋は、どれでしょう?

 い)永代橋  ろ)千住大橋  は)日本橋  に)両国橋

 選択肢となっている橋は、それぞれ、お題テキストで、次のページで説明されています。

 い)永代橋 67ページ   ろ)千住大橋  62ページ 

 は)日本橋 60~61ページ 
 に)両国橋 64~65ページ

 しかし、どのページにも、江戸名所図会の説明はされていません。
 そこで、江戸名所図会に書いてある文章とお題テキストのそれぞれの説明を比較してみます。

 江戸名所図会で強調しているのは、「橋上至て高し」と書いてある通り橋が高いということです。そこで、高い橋がどの橋かを探すと、67ページの永代橋の説明に、「永代橋は、橋の下を船が余裕をもって通れる高さが必要で、橋脚が高い永代橋は見晴らしが良かった」と書いてあります。

 この説明から、正解は い) ということがわかります。

 ちなみに、ちくま文庫「新訂江戸名所図会Ⅰ」の188ページにある永代橋の中で問題文に採用された文章が書かれています。

14】新大橋を描いた歌川広重の『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』は、ゴッホが模写したことでも知られる作品です。面題にある「あたけ」とは新大橋の東側にあった地名ですが、その由来はどれでしょう?

 い)この地にあった船番所の通称

 ろ)この地の名産だった野菜の通称

 は)ここに砦を築いた太田道灌の家臣の名前

 に)ここに係留されていた幕府の軍船の名前

これも正解がお題テキスト66ページに書いてあります。  

お題テキスト66ページには、「幕府の木造大型軍船(安宅丸)がこの地の船蔵に係留されていたことから、その名でよばれる」と書いてあります。そこで、 正解は に) です。

15】隅田川には多くの渡しがありましたが、山谷堀と三囲神社を結ぶ渡しは、何と呼ぱれたでしょう? 山谷堀にあった料亭の名前に由来する名称です。

 い)有明の渡し   ろ)亀屋の渡し

 は)竹屋の渡し   に)平清の渡し

 これも正解がお題テキスト125ページに書いてあります。正解は は)竹屋の渡し です。

 お題テキストには、竹屋の渡しについては、ほとんど説明されていませんので、ここで少し説明をしておきます。

 竹屋の渡しは、山谷堀と三囲神社を結ぶ渡しで、渡しの下流に言問橋が架かった昭和4年まで営業していました。

現在は、隅田公園山谷堀広場に竹屋の渡し跡の石碑が建てられています。(下写真)

江戸検お題問題解説その3(新江戸百景めぐり番外③)_c0187004_17413499.jpg

山谷堀に竹屋という船宿があったことから、その名前がついたとされています。隅田川の渡しで地名がついていない渡しは珍しいそうです。渡しがいつ設けられたかは不詳です。

向島から渡し舟に乗るには、土手下から川向うの渡し舟を、大声で呼ばねばなければならす、『たけや!』と呼ぶ声は、多くの人に知られていたようです。
 次のように長唄の文句にもとり入れられています。

「はるか向ふを竹屋と呼ぶ声に、山谷の堀を乗り出す」(長唄『船揃』)

「土手の錦も花の空、竹屋、竹屋と呼ぶ舟に乗合せたる猿廻し」(長唄『籾猿』)

また、三囲神社側には 「都鳥」という茶屋があって、そこのお美代という女将がいて、「たけや~」といって渡し舟を呼ぶ声が美しいと評判だったという話も伝えられています。



by wheatbaku | 2019-11-02 17:24 | 新江戸百景めぐり
江戸検お題問題解説その2(新江戸百景めぐり番外②)

江戸検お題問題解説その2(新江戸百景めぐり番外②)

  今日は、江戸検のお題解説の2回目です。今日は、6問から10問まで解説します。

 この中では、6問が難しいと思いますので、丁寧に解説します。

それ以外の問題は、お題テキスト『新江戸百景めぐり』(小学館刊)をよく読んでいれば、正解は導き出せる問題です。

【6】江戸には高い建物がなかったこともあり、眺望に恵まれた山が行楽地となりました、では、『江戸名所図会』に(見落ろせぱ、三条九陌の万戸千門は、甍をつらねて所せく、海水は渺焉とひらけて、千里の風光を貯へ、もっとも美景の地なり〉と記されている山は、どれでしょう?

い)飛鳥山   ろ)愛宕山   

は)道灌山   に)待乳山

 この問題は、お題の問題の中では、難しいほうの問題だと思います。

そもそも、問題文の中の『江戸名所図会』に書かれている内容が、難しいと思う人が多いと思います。 

 この文章は、ちくま文庫「新訂江戸名所図会1」の「愛宕山権現社」の項(263ページ)に載っています。正解は ろ)愛宕山 です。

 しかし、『江戸名所図会』の該当部分を読んである人はほとんどいないと思います。そこで、お題テキストから正解がわかるかですが、お題テキストの愛宕山の中で、『江戸名所図会』を引用した説明はされていません。 

ですから、お題テキストから直接正解はわかりません。しかし、前述の『江戸名所図会』の文章と四つの選択肢について説明している以下のページの挿絵・写真とを比べると正解がわかります。

 い)飛鳥山―30ページ、52~53ページ 
 ろ)愛宕山―48ページ  は)道灌山―54ページ  
 に)待乳山―106ページ

 『江戸名所図会』の文章は、なかな読むのが難しいのですが、そののなかの①「甍をつらねて所せく」と②「海水は渺焉(びょうえん)とひらけて」に注目します。

 まず、①「甍をつらねて所せく」とは、多くの家並が建ち並んでいるということを意味しています。また②「海水は渺焉とひらけて」は海が見えるということだろうと推測できます。
 そこで、選択肢のなかから海が見えそうな山をさがします。すると飛鳥山や道灌山は内陸部だから無理、待乳山は隅田川が見えるが、隅田川は海ではないから、海が見える山となれば、ほぼ ろ)愛宕山だろうとなります。
 さらに、山頂から多くの家並が見える山を探すには、お題テキストの前述の四つの選択肢を説明しているページの挿絵や写真が参になります。
 い)飛鳥山について30ページの名所江戸百景「飛鳥山北の眺望」をみると人家は見えません。
 は)道灌山について54ページの江戸名所図会「道灌山聴虫」を見ると人家がありません。
 に)待乳山について106ページの「東都名所 真土山之図」を見ると人家はありますが、密集しているほどではありません。
 ろ)愛宕山について、48~49ページのベアトの写真を見ると、明らかに、人家が密集しているのがわかります。
 以上から、山頂から見下ろして山の麓に人家が建ち並んでいるのは ろ)愛宕山 しかありません。
 ですから、正解は ろ)愛宕山 で間違いないということになります。

 こうしたことから、この問題の正解は、お題テキストには直接書かれていませんが、お題テキストの挿絵と写真をよく見ていれば、正解を導きだすことができる問題です。難しい問題ですが、よく工夫した問題だと思います。

【7】次に示すのは、幕府の施設とその位置の組み合わせです。間違っているものはどれでしょう?

 い)金座一日本橋の北西    

ろ)小塚原刑場一千住宿の北  

は)猿江御材木蔵一深川の横十間川西岸

 に)鈴ヶ森刑場一品川宿の南

 これは、選択肢となっている四景について説明しているページを読んだうえで、巻頭部分にある地図を見てあれば解ける問題です。

 い)金座一日本橋の北西  
 説明は73ページ、地図は7ページに書いてあります。これには間違いありません。

 ろ)小塚原刑場一千住宿の北  
 説明は161ページ、地図は17ページに書いてあります。
 小塚原刑場は千住宿の北でなく南にありますので、これが間違っています。

 は)猿江御材木蔵一深川の横十間川西岸 
 説明は71ページ、地図は20ページに書いてあります。これには間違いありません。

 に)鈴ヶ森刑場一品川宿の南 
 説明は160ページ、地図は25ページに書いてあります。これには間違いありません。

 以上より、正解は ろ) となります。

 

【8】幕府が全国の募領から集めた米を管理・保管するために設けたのが、浅草御蔵です。では、浅草御蔵についての次の記述のうち、間違っているものはどれでしょう?

 い)隅田川の西岸にあった

 ろ)4本の船入堀が設けられた

 は)勘定奉行配下の蔵奉行が管轄した

 に)30万石以上の米を保管することができた         ’

浅草御蔵について説明したある69ページに、四つの選択肢の内容が書いてあります。 浅草御蔵の船入堀は、8本ありましたので、 3)が間違っていることなり、正解は ろ) です。

【9】千鳥ヶ淵が整備されたのには、江戸城の防御のためだけでなく、もうひとつ別の目的もありました。それは、次のうちどれでしょう?

  い)火災の延焼を防ぐため  
  ろ)食用の魚を養殖するため

  は)水害を防ぐため     
  に)生活用水を確保するため

 千鳥ヶ淵について説明したある42ページに、四つの選択肢の内容が書いてあります。それによれば、 に)生活用水を確保するため  が正解です。

10】下の絵は、葛飾北斎の「冨嶽三十六景 武陽佃島」です。画面中央の島の右側が佃島の漁師町ですが、その左の木が茂っているところは、どこでしょう?

 い)石川島  ろ)永代島  は)越中島  に)月島

江戸検お題問題解説その2(新江戸百景めぐり番外②)_c0187004_14044538.jpg

問題となっている葛飾北斎の「冨嶽三十六景 武陽佃島」は、お題テキスト47ページに載っていて、同じページに説明してある通りで、い)石川島が正解です。



by wheatbaku | 2019-10-31 13:58 | 新江戸百景めぐり
江戸検お題問題解説-その1(新江戸百景めぐり番外編①)

江戸検お題問題解説-その1(新江戸百景めぐり-番外編①))

 昨日実施された江戸検を受検された皆さん、お疲れ様でした。

めでたく合格ラインを越えた人おめでとうございます。また、惜しくも合格ラインに達しなかった人、とりあえず一休みして英気を養ってから、来年も是非挑戦してください。

 さて、江戸検の今年のお題は『新江戸百景めぐり』で、このブログでも連載してきました。この今年のお題は、私自身関心が高いテーマでしたので、江戸検の問題を入手して、挑戦しながら内容を分析してみました。

 その結果、お題の問題20問のなかで、お題のテキスト『新江戸百景めぐり』(小学館刊)から出題されている問題が19問ありました。

 従って、お題テキスト『新江戸百景めぐり』(小学館刊)を読み込んでいた人は、お題に関係する問題は、比較的良い成績がとれただろうと思います。

 しかし、その一方で今年の問題は難しかったという声も届いています。

 そこで、数回に分けて、お題の問題がお題テキスト「新江戸百景めぐり」(小学館刊)のどこから出題されているか解説していきます。とりあえず、初回は、1問から5問まで解説します。

【l】右(このブログでは下)の絵は、歌川広重『名所江戸百景』の1枚です。画面奥に描かれている池は上野不忍池ですが、手前に描かれた鳥居ほどこの鳥居でしょう?

    い)神田明神   ろ)根津権現 
    は)不忍池弁天堂 に)湯島天神

江戸検お題問題解説-その1(新江戸百景めぐり番外編①)_c0187004_19045802.jpg

 この問題は、お題テキスト『新江戸百景めぐり』(小学館刊)(以下はお題テキストと略します)の110ページに、そのまま載っていますので、正解は に)です。

 湯島天神に上がる坂には男坂と女坂がありますが、上画像の右隅の坂が男坂で、絵の正面に描かれているのは女坂です。なお、上画像は国立国会図書館のHPから転載させていただきました。


 今回は、絵に関する問題が多いのではないかと8月に開講した「合格虎の巻講座」の受講者の皆さんにお話ししておきましたが、案の定、絵に関する問題が4問出題されていますが、この問題もその一つです。
 

【2】次にあげるのは、大名庭園の名残をとどめる庭園と、
そこにある施
設の組み合わせです。間違っているものは
どれでしょう?

   い)旧芝離宮恩賜庭園一玉藻池  
   ろ)小石川後楽園一九八屋

   は)肥後細川庭園一松聾閣  
   に)六義園一出汐の湊

 いきなり、答えるのは難しい問題だと思いますが、4つの選択肢は、次の通り、全てお題テキストに載っています。

 い)旧芝離宮恩賜庭園一玉藻池 
   玉藻池は、お題テキスト83ページに載っているごと
  く新宿御苑内にある池です。これが間違いです。
   なお、芝離宮恩賜庭園については82ページで説明さ
  れていて、大山・大島、石柱が取り上げられています。

 ろ)小石川後楽園一九八屋  
   お題テキストの85ページに載っています。

 は)肥後細川庭園一松聾閣  
   お題テキストの87ページに載っています。  

 に)六義園一出汐の湊    
   お題テキストの86ページに載っています。

今回の問題は、この第2問と同様に、お題テキストの4ヶ所から選択肢を作成するという形式の出題が多いように思います。この形式の問題は、1ヶ所だけでなく4ヶ所までよく読んでいないと正解がわからないということになります。そのため、幅広い知識が求められることになります。

【3】梅と萩の名所として知られる「向島百花園」は、文化
  元年(1804)に開園した花園がもとになっています。
  では、ここを「百花園」と名付けたのは、誰でしょう?

   い)画家の酒井抱一   は)俳人の宝井其角 

ろ)骨董商の佐原鞠鳩  に)文人の大田南畝

この問題は、お題テキストの126ページの本文に、そのまま載っています。正解は い)です。お題テキストをしっかり読んでいる人にはすぐにわかった問題だったと思います。

なお、選択肢の は)俳人の宝井其角は、元禄時代に活躍した人ですので、まず選択肢から外れることになります。ろ)骨董商の佐原鞠鳩は、「向島百花園」を作った人、に)文人の大田南畝は、「花屋敷」の扁額を書いています。
 下写真は向島百花園の入り口です。

江戸検お題問題解説-その1(新江戸百景めぐり番外編①)_c0187004_19050230.jpg

【4】現在多くの参拝者でにぎわう寺社のなかには、江戸時
  代の建物が残っているところも少なくありません。では
  次のうち、最も古い建物はどれでしょう?

    い)赤坂氷川神社の社殿  ろ)王子稲荷の拝殿

    は)泉岳寺の山門     に)根津権現の楼門

 4つの選択肢の建立時期は全て、お題テキストに明確に載っていますので、選択肢の順に書いていきます。

い)赤坂氷川神社の社殿 
     享保15年(1730) 
     お題テキスト134ページに載っています。

  ろ)王子稲荷の拝殿   
     文政5年(1822)  
     お題テキスト149ページに載っています。

  は)泉岳寺の山門    
     天保3年(1832)  
     お題テキスト153ページに載っています。    

  に)根津権現の楼門   
     宝永3年(1706)  
     お題テキスト112ページに載っています。

 建立年をみていただいてわかるように、最も古い建物は に) ということになります。

 この問題も第2問と同様に、4ヶ所を理解していないと解けない問題ということになります。

【5】下の絵は、歌川広重『東都坂尽』のうちの1枚です。
  富士見の名所として知られ、坂の上の茶屋が人気だった
  この坂は、どこでしょう?

  い)神楽坂      ろ)九段坂  
   は)日暮里富士見坂  に)目黒行人坂

江戸検お題問題解説-その1(新江戸百景めぐり番外編①)_c0187004_19192312.jpg

(上画像は国立国会図書館のHPからの転載です。)

 お題テキスト51ページに載っている絵がそのまま出題されています。正解は に)です。
 お題テキストをよく読んで、この絵にも注目した人にとっては簡単な問題だったと思います。      
 
 




by wheatbaku | 2019-10-28 18:46 | 新江戸百景めぐり
  

江戸や江戸検定についてに気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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