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榧の実油と椿油(油の話4 江戸の食文化49)
今日は、「食文化」のお話で、「油の話」です。
 「油の話」は前回まで、江戸五大油のうち、荏胡麻油、胡麻油、菜種油まで書きました。
 今日は、「榧(かや)の実油」と「椿油」について書きます。

 皆さんは「榧(かや)」という木をご存知ですか?
 榧の木は意外と知られていないのではないでしょうか

c0187004_1675785.jpg 榧(かや)は、イチイ科の常緑針葉樹で、イチョウと同じように雄株と雌株が異なっています。
 幹は直立し樹の高さは20m、周囲は3mほどまでなり、樹形は幅の広い円錐形になります。
 木の成長は非常に遅いのですが、寿命は長い樹木です。
 枝の様子などはモミなどに似ていますので、モミの木をイメージするとよいかもしれません。
 榧の木は、碁盤・将棋盤として利用され、宮崎県産のものが有名です。

 そんな榧の木ですが、東京で身近に見られる巨木があります。
 それは、増上寺南東端の慈雲閣の裏手にある榧の巨木です。
 目通り(地上1.5mの高さ)の直径約1.3m、樹高約25mあります。
 樹齢は推定で600年を超える雄株だそうです。
 港区の天然記念物に指定されています。

c0187004_16124167.jpg 榧の実油は、榧の種子から採られます。
 なお、種子は食用となり、アクが強いので数日間アク抜きしたのち煎るか、土に埋め、皮を腐らせてから蒸して食べるます。
 徳川家康が鯛の天ぷらを食べて亡くなったと言われますが、この時に使用した油が榧の実油であると言われています。
 また、榧の実油は食用のほか灯火用にも使われます。


c0187004_16183445.jpg 五大油の最後は「椿油」です。
 椿油は、ツバキ科のヤブツバキから採られる油です。
 椿油は、頭髪用として大変有名で、頭髪油と思われがちですが、江戸時代から高級食用油としても使われてきました。
 椿油で揚げると揚物は軽い仕上がりになります。また、椿油で揚げると他の植物油と比べて長い時間、カラッとした感じが保たれるようです
by wheatbaku | 2014-05-28 13:05 | 江戸の食文化
菜種油 (油の話③ 江戸の食文化48)
今日は、菜種油について書きます。

 菜種油は、江戸時代からの代表的な油で、現在でも重要な油です。
 c0187004_1414205.jpg 菜種油はアブラナの種子からとることは良くご存知だと思います。
 アブラナは、アブラナ科の二年生植物です。
 原産は、西アジアから北ヨーロッパと考えられています。
 日本へは中国から渡来し、弥生時代以降から利用されていたと言われています。
 中世までは、菜食用に栽培されていました。

c0187004_14151185.jpg 江戸時代になって、植物油の採油目的として栽培されるようになりました。
 菜種油は、大坂で搾油されるようになったと伝えられ、主に灯油として利用される他、食用としても利用されました。
 そして、菜種油は、他の油に比べ良質なため、次第に他の油に替って需要が伸びるようになりました。

 江戸幕府は、当初、麦作の妨げとなることから、田畑に植えることを認めませんでしたが、元禄年間頃から、油の増産と流通に努めるようになってきました。
 こうして、菜種油が増産されて、正徳年間になると、菜種油は、胡麻油を圧倒しました。
 正徳4年に、大坂に入ってきた胡麻油は1万7千石、菜種油は15万石、大坂から送り出された胡麻油は2千石に対して菜種油は3万3千石超えていました。
 菜種油が、胡麻油の10倍前後も取引されていました。
 菜種油が胡麻油を圧倒したのは、安価だったためです。

 現在では、菜種油は、国内の需要量、生産量ともに最も多い油です。
by wheatbaku | 2014-05-23 14:08 | 江戸の食文化
胡麻油(油の話② 江戸の食文化47)
 昨日は、日本で最も古くから利用されてきたと言われる荏胡麻油について書きましたが、
 今日は、荏胡麻油と同様に古くから利用されてきた胡麻油について書こうと思います。

 胡麻は、ゴマ科に属する一年生草木で、原産地はアフリカといわれ、古代から世界各地で栽培されてきました。
 胡麻という漢字は、胡は「えびす」とも読まれ西方を意味し、油が多いので「麻」の字をあてたと言われています。
c0187004_13363077.jpg その胡麻が、いつ頃日本に渡来したかははっきりしないようですが、縄文末期の遺跡には胡麻の種子が発見されているようです。
 そして、仏教の伝来とともに大陸から胡麻と一緒にその搾油技術が伝わり、油が採られ、灯油がつくられるようになりました。
 貴重品のため、大化の改新(645)の頃の「賦役令」には、胡麻油と荏胡麻油が現物税として朝廷に献上されたことがのっているようです。
 しかし食用とされたのは平安時代からといわれています。
 胡麻は、最初、京都を中心とした近畿地方で栽培されましたが、それが次第に各地に広がっていきました。
 奈良時代の「正倉院文書」では、尾張と豊後で胡麻が栽培されていたことがわかるそうです。
 奈良時代には、胡麻油は、大変貴重なもののため非常に高価だったそうで、伊豆国では胡麻油は米の4.5倍もしたそうです。
 そのため、胡麻油は、朝廷、貴族などの高貴の人だけしか食せませんでした。
 平安時代の「延喜式」の中では、越中以南の、伊勢・尾張・美濃・但馬・因幡など15の国から貢出されることとなっていました。
 また「延喜式」では胡麻は薬としても利用されていたことが書かれているそうです。
 しかし、当時は、主に灯火用に使用され、その他、食用、薬用、工芸用に使われました。

 中世から戦国時代において、京都大山崎の離宮八幡宮が中心となった搾油が行われ、油座が専売権をもっていたことは昨日書きましたが、胡麻油も当然油座の対象でした。

c0187004_13365511.jpg 江戸時代になると、胡麻の栽培は 全国に広がります。
 元禄10年(1697)に発行された「本朝食鑑」は、胡麻について次のように書いています。
 「胡麻はよく蒸して を打ちし。袋を圧し絞って、したたり落ちた油を取る。食油や灯油や雨具や塗髪に用いる。とりわけ灯油に最もよく利用している」

 守貞謾稿では、半平の項で
 「京阪にては半平を胡麻油揚げとなし、号けててんぷらといい、油を用いざるを半平というなり、江戸にはこの天麩羅なし。江戸にはこの天麩羅なし。他の魚肉・海老等に小麦粉をねり、ころもとし、油揚げにしたるを天ぷらという。この天麩羅。京阪になし。これあるは、つけあげという。」 (岩波新書「近世風俗史」五の105ぺージ)
 と書いてあり、胡麻油が天麩羅に使用されていたことが推測できます。

 現代では、胡麻油の原材料は、ほとんど輸入に頼っていて国産の胡麻はごく少量です。
 胡麻油には焙煎してから搾るものと、焙煎せずに搾るものとがあります。
 油の色と香りは、胡麻の煎り具合によって違います。
 時間をかけて焙煎したほうが、、油の色は濃く仕上がり、香ばしい香りが強くなります。
by wheatbaku | 2014-05-22 14:00 | 江戸の食文化
荏胡麻油(油の話① 江戸の食文化46)
今日から、食用油について書いていきたいと思います。

 先日の食文化第5回模擬試験でも、油に関する問題を出題しましたので、それをフォローする意味もあります。

c0187004_14445272.jpg  江戸時代に主に利用されていた油は、次の5種類と言われています。
 ①荏胡麻(えごま)油 ②胡麻油 ③菜種油 ④榧(かや)の実油 ⑤椿油

 これらについて書いていこうと思いますが、今日は、荏胡麻油について書いていきます。
荏胡麻油は、荏胡麻から採ります。
 荏胡麻は、シソ科の一年草です。原産地は東南アジアですが、日本国内の縄文時代の遺跡から荏胡麻が出土しているので、縄文時代から栽培されていたと考えられています。
  荏胡麻は、東北地方では「じゅうねん」とも呼ばれますが、これは、荏胡麻を食べると10年長生きすると信じられていることによります。

c0187004_14534984.jpg 荏胡麻は、胡麻と同じように炒ってからすりつぶし、薬味としたり、味噌を入れてよく混ぜた「荏胡麻味噌」などとして食用にされました。
 福島県では、「じゅうねん味噌」と呼ばれる郷土料理があるようです。

  荏胡麻の種子は35~40%の油を含んでおり、これを搾りとったのが荏胡麻油です。
 荏胡麻油は、荏油(えのゆ)とも呼ばれます。また、荏胡麻はシソ科の植物であるため、荏胡麻油のことを「シソ油」と呼ぶこともあります。

 菜種油が普及するまでは日本で油と言えば荏胡麻油でした。
 荏胡麻油は、荏胡麻の種子を押しつぶして油を採っていたため労力と時間がかかり貴重品で高価でした。
 そこで、灯明に主に用いられました。
 当初は、神社仏閣用の燈明用油として利用されていましたが、その後一般の家々でも灯り用に使用されるようになり日本全国に広まってゆきました

 京都の大山崎にある離宮八幡宮によると、平安時代の貞観年間、離宮八幡宮の神官が神示を受けて「長木」という搾油器を発明し荏胡麻油の製油を始めたと言います。
 「長木」というのは、いってみれば「テコ」で、これにより種子を押しつぶして油を採りだしていました。
c0187004_14451667.jpg  この方法により搾油した油が全国の神社仏閣に奉納され、この業も全国に広まったため、離宮八幡宮は朝廷より「油祖」の名を賜ったそうです。
 そのため、境内には右写真のように「本邦製油発祥地」の碑がたっているようです。
 また、油座が作られ、離宮八幡宮は油の専売特許を持っていたため、諸国の油商人は離宮八幡宮の許状無しには油を扱うことはできませんでした。

 下剋上で有名な戦国大名の斉藤道三は、油商人から身を立てたと言われていますが、この斉藤道三が売っていたのが荏胡麻油だそうです。
 当時は、食用に売っていたわけではなく、主に灯明用に売られていたと言います。

 また、荏胡麻油は、さらさらした状態ではなく、すぐに固まる性質をもっています。そこで、その性質を利用して、荏胡麻油は油紙や雨傘等にも用いられてきました。

 荏胡麻油は、菜種油の普及により、すっかり忘れられていました。
 しかし、最近は、荏胡麻には豊富にα-リノレン酸が含まれていることが分かり、近年の健康ブームなども手伝って、再び注目されているようです。
by wheatbaku | 2014-05-21 14:49 | 江戸の食文化
  

江戸や江戸検定についてに気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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